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第166話
「よう。山岡センセ、目覚めたんやて?」
ノックもなしに、ズカズカと病室に入ってきたのは谷野だった。
「とら、おまえな…」
思わず溜息をつく日下部に、山岡は微妙にホッとしている。
けれど、谷野は決して山岡の味方ではなかった。
「なんや、山岡センセ、顔真っ赤やん」
「あ、えと、その…」
「ははん。どうせちぃに、溜まってる分の相手せぇって絡まれてたんやろ」
ズバッと当てる谷野は、やっぱり日下部の従兄弟で悪友だった。
「だから邪魔するなって」
「なんや、邪魔て。おれだって心配したんやで?山岡センセは起きないわ、アレストするわ、ちぃはどんどん壊れていくわ」
ようやくお目覚めかいな、と笑う谷野に、日下部が慌てて谷野の口を塞ごうと手を伸ばし、山岡が目を大きく見開いた。
「とら馬鹿っ!」
「え…?アレスト?」
呆然と呟く山岡と、気まずそうに苦笑する日下部の視線が絡まった。
「なんや。言わんつもりやったんか?無駄やねん。カルテ見たらわかるんやから」
「だから山岡には見せないつもりで…」
「それはこの病棟にある限り無理やねん」
なにせ山岡はここの医者だ。
谷野の言葉の方が正しい。
「日下部先生。それは本当ですか?」
「っ…」
「隠さないで下さい。オレは本当に、日下部先生にそんな酷いことを突きつけたんですか?」
「……」
山岡が重ねる言葉に、日下部は黙り込んでしまった。
「オレ、嫌です。日下部先生のことを傷つけておきながら、それを知らずに過ごすなんて。日下部先生が1人で抱えて耐えてしまうなんて、嫌です。ちゃんと教えてください。ちゃんと教えて、ちゃんと謝らせてください」
必死に言う山岡に、日下部は諦めたように口を開いた。
「本当だ。昏睡に陥って5日後。アプネアにアレスト…。CPAにっ…」
思い出してしまったのか、思わず辛そうに言葉を途切れさせた日下部に、山岡がギュッと眉を寄せた。
「ごめんなさい、日下部先生」
「山岡が悪いんじゃない。どうしようもなかったことで…」
「でも、ごめんなさい」
不可抗力だ。だけど、そのときの日下部の心情を思うと、そんな言葉では済ませられなかった。
「戻ってくれたから、いいんだ。もういいんだ」
「ごめんなさい。それから、ありがとうございました」
きっと必死で掬い上げてくれた。
山岡の命を必死で、必死で。
それがわかるから、山岡は微笑んだ。
「うん。まぁでも、それじゃぁますます例の罰、受けなきゃな~?」
ふふ、とすっかりいつものペースを取り戻した日下部が、たまたま谷野が漏らしたこの状況すら利用しようと考えた。
「っ、それは…」
「ん?悪いと思っているんだろ?なにせCPAだもんな~。俺の心臓こそ止まるかと思ったよ」
恐怖で、と笑う日下部に、山岡はまんまと陥落した。
「ごめんなさい。罰…受けるから許してください…」
しゅんと俯いた山岡に、日下部の満足そうな笑みが向いた。
「なんやねん、ちぃ。あんま苛めんなや」
「とらが口を滑らすからだ」
「で?なんやまたどうせ、せっかく病室やし、患者と医者やし、お医者さんごっこでもしよか~?って?」
へっ、と笑う谷野に、日下部がニヤニヤして、山岡がびっくりしたように顔を上げた。
「なんで分かっ…」
「はぁ?ほんまやの?適当に言っただけやのに」
「なっ…」
途端にカァッと赤くなる山岡の顔が可笑しい。
日下部はそれでも平然とニコニコしている。
「相変わらずど変態やな…」
「とらは毒舌に磨きがかかってるよな」
「ほんま、なんなん?なんでこれがモテんねん。ちぃ入院した日、知っとるか?」
「何を?」
「ちぃの看病を巡って、看護師たちの壮絶なバトルが繰り広げられてん。おっそろしかったわ~」
わからん、と肩を竦める谷野に、山岡はまたも新たな事実を聞いてしまい、微妙に落ち込んでいた。
「日下部先生、入院って…」
「あん?それはちぃが悪い。山岡センセは悪くないで」
「でも…」
「勝手にオーバーワークして、過労で倒れる直前やねん。医者のくせに情けない」
「言うね」
「だってほんまやもん。自分の体調もわからんと、阿保やで」
はん、と呆れる谷野に、日下部がさすがに苦笑した。
「まぁ、返す言葉もございません」
ふざけて言う日下部に、山岡はヘニャリと笑った。
「本当に、たくさん心配かけてごめんなさい。千洋、愛してます」
優しく目を緩ませた山岡に、日下部がふわりと微笑み、谷野がやってられんと肩を竦めた。
オレなんかのために、と言わなくなった山岡が愛おしい。
心配されたことに素直に謝意を示す山岡が愛おしい。
謝るだけじゃなく、ちゃんとその心配の意味をわかって、受け止めて、返してくれる山岡が、日下部は愛おしくて愛おしくてたまらなかった。
「今日はきちんと休んで。早く元気になってな」
「ん。日下部先生も、ゆっくり休んでください」
「明日、朝早く来るから。ちゃんと目を覚ましてくれる?約束だよ?」
「はぃ」
「ん。じゃぁ俺たちはそろそろ行くから。おやすみ、泰佳」
「おやすみなさい、千洋」
チュッと触れるだけのキスを落として、日下部がニコリと笑った。
少し照れくさそうにしながら、山岡もふわりと微笑んだ。
谷野はちゃんと見ないふりをして、一足先に病室を出て行った。
その後に出て行く日下部を、山岡は笑顔で見送っていた。
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