172 / 426

第172話

そうして夕方、普段着の山岡がオズオスと病院にやって来た。 「あ、来た来た。山岡先生、こっちこっち」 廊下をテクテク歩いて、詰め所の方へ向かおうとしている山岡を、ナースステーションから日下部が見つけて呼んだ。 「あ、日下部先生。お疲れ様です」 ニコリと微笑んで、パッとナースステーションの方に足早に来た山岡を日下部が迎える。 周囲にいた看護師たちがそれを羨ましそうに見つめる。 日下部は、目の前まで来た山岡の髪を、不意にグイッと上げてしまった。 「っ!日下部先生っ?」 顔を隠していた前髪がなくなり、山岡がワタワタと焦る。 「本当、綺麗よね…」 「目の保養だわ~」 「美形が並んでるとか、もうヤバすぎ」 ほぅ、と山岡の晒された顔を見ながら、看護師たちの熱のこもった溜息が漏れた。 そのやけに落ち着いた慣れたような態度に、山岡だけがあれ?と首を傾げていた。 「あの…日下部先生?」 「ん?あぁ、山岡が昏睡していた間に、みんな見慣れちゃったよ。だからもう隠しても無駄」 ふふ、と笑う日下部は、持ち上げていた山岡の髪をそのままゴムで止めてしまった。 「ちょっ…あの…」 そうは言われても、山岡自身にその感覚はない。途端に不安そうな顔をする山岡の肩を、日下部がサラリと抱いた。 「大丈夫。山岡は醜くない」 「っ…あの…」 「ふふ、ねぇ山岡。素顔暴露のついでに、俺たちのことも、もう公表していい?」 コソッと耳元で尋ねる日下部に、山岡の顔がカァッと赤くなった。 「あ、の…」 「まぁ公表も何も、もうバレバレなんだけど。この際だから公言しようかと」 「っ…その…」 「嫌?」 キュルンと縋るように目を向ける日下部に、山岡はオロオロとして、俯いた。 もちろん日下部のその表情が演技などとは思いもしていない。 「山岡?」 「嫌…ではないですけど…」 「ふふ、じゃぁ言っちゃおう」 ニコリと笑う日下部に、山岡は俯きながらも拒否する様子はなかった。 「キャァ!いいなぁ、今日の飲み会」 「本当、今日のシフト、呪う!」 ナースステーション内で2人の様子を見ていた看護師たちが、ギャァギャァと喚いている。 彼女たちはどうやら今夜居残り組らしい。 「じゃぁお仕事頑張ってくれるきみたちにサービス」 ニコリと笑った日下部が、グイッと山岡の身体を引き寄せ、机の上にあったファイルをサッと取った。 「え…?」 「キャァァァッ!」 「嘘ぉっ!」 「キャァッ!ヤバイ~!」 不意に身を屈めた日下部が、ファイルで山岡の口元と自分の口元を隠して顔を近づけた。 看護師側からはどう見てもキスをしているようにしか見えないだろう。 甲高い悲鳴が上がり、日下部はニヤリと唇の端を吊り上げる。 「クスクス。お仕事頑張ってね?」 スッと山岡から離れ、ファイルを下ろした日下部に、看護師たちが首が千切れんばかりにブンブンと頷いていた。 「うわ、騒がしいですね…」 ふと、廊下の方から、帰り支度を整えた原がやって来た。 「ふふ、行こうか、山岡先生」 ニコリと微笑んで、山岡を誘ってナースステーションを出て行く日下部の後を、山岡は慌ててパッと追った。 「あ、おれもご一緒させて下さいよ」 「何?じゃんけん勝ったの?」 ちゃっかり並んで歩き出した原に、日下部のつまらなそうな視線が向いた。 「もちろんです!」 「ふぅん」 「あっ、何ですか、その聞いておいて興味のない反応」 「別に…」 「まぁいいですけど、それよりあれ、いいんですか?」 あれ、と言いながら、目をハートにして騒いでいる看護師たちを示す原に、日下部はニコリと悪戯っぽく笑った。 「いいって何が?」 ふふ、と笑う日下部に、原の目が半眼になる。 「だって先生たち、今してませんでしたよね…」 キス、と言う原側からは、バッチリ見えていたのだ。 「ふふ、人の想像力には文句はつけられないよね」 クスッと笑う日下部は、本当に何もかもが計算づくの悪い男だった。 「山岡先生、ほんっとうにこの人でいいんですか?めちゃくちゃ悪い男ですよ!」 「あ、あの…えっと…」 「おれにしておいた方が絶対にいいですって」 ね?と迫る原は、まだ諦めていなかったのか。 「まだ口説いてたの」 「何ですか!そのすっかり忘れていた感じ」 「まぁ、忘れていたし」 「あ~、酷え。山岡先生!この人、悪い男な上に薄情者ですよ。ライバルのこと忘れるとか!」 ギュウッと山岡の腕にしがみつきながら言う原に、山岡が苦笑しながら、そちらを見た。 「あはは」 「ライバルねぇ?」 チラリ、と原を流し見る日下部は、何を考えているのか。 「ふふ。まぁいいや。さてと。幹事組はもう行ってるらしいし、俺たちもこのまま向かうよな?」 「はぃ…。あ、オレ、場所とか知りません…」 「俺が聞いてるよ」 ニコリと笑って日下部は、ちょうど辿り着いていたエレベーターホールで、エレベーターのボタンを押した。 「おれも一緒にいいですよね?」 「何?タクシー代浮かせようって魂胆?」 「あは、バレてます?」 えへ、と笑う原に、日下部が呆れた目を向け、山岡はニコリと笑って歓迎している。 「山岡~」 「え?だって行き先同じなら、もったいないですし…」 胡乱な日下部の目に、山岡はキョトンと首を傾げている。 「あぁ、やっぱり山岡先生が好きです!」 「はいはい。ほら、喚いてないでさっさと乗れ」 ちょうどポンと音を立てて開いたエレベーターに、原を蹴り入れる勢いで押し込む日下部。 山岡には、扉を押さえて丁寧なエスコートだ。 「あ、ありがとうございます」 「ん?」 「あ~!本当、徹底してますよね…」 ブーブー文句を垂れる原にニコリと笑って、日下部はわざとらしく山岡の腰を抱いて、さらに原の反感を買って楽しんでいた。

ともだちにシェアしよう!