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第174話

「ちょっと山岡先生?あたしたちとも話しをして下さいよぅ」 「聞きたい、聞きたい!山岡先生は、日下部先生のどこが好きなんですか~?」 すでに出来上がり始めた看護師たちが、山岡と光村の間に乱入してきて、グイグイと山岡の腕を引いている。 「えっ、あの…オレ…」 「ははっ、行ってきなさい、若い者は若い者同士、大いに騒いで結構」 のんびりとソフトドリンクのグラスを傾けながら、光村がシッシと手を振った。 「ほらほらぁ、山岡先生も飲んで飲んで」 数人の看護師に囲まれ、グラスにビールをガンガン注がれる。 「あ、う、は、はぃ…」 ゴクゴクとグラスを呷った山岡に、看護師たちの視線が集まる。 「で?で?日下部先生のどこが好きなんですか~?」 ワクワクとした視線を向けられ、山岡は恥ずかしそうに俯いた。 「あの…その…」 「あ~ん、まだ酔いが足りませんね!」 「ささ、飲んで飲んで」 ふふ、と酔っている看護師に酒を勧められ、山岡は勢いに流されるまま、どんどんグラスを重ねていった。 そうしていつしかすっかり酔いが回る。 「でね~、日下部先生はね~、お料理が上手でね、ご飯が美味しいの」 ヘラッと笑う山岡に、話を聞いていた看護師たちの悲鳴が上がる。 「ヤバイ~!山岡先生可愛い!」 「いゃぁん、毎日彼氏の手料理ですかぁ?羨ましいなぁ、もう」 「えへへ、いいでしょ~?」 ニコォッと笑う山岡に、周りの看護師たちがキュンと胸を鳴らしていた。 「酔った山岡先生って可愛過ぎ!」 「本当、初めてこんなに話したけど、あたし山岡先生もいいかも」 「もっと色々聞かせて下さい~」 「ん~?色々?」 「はい!あっ、前に当直室、2人で消えたでしょう?あれ、何してたんですか~?」 うふふ、と山岡の胸をつつく看護師に、周りの看護師も興味津々な目を向けた。 「ん~?当直室?あぁ、お仕置きされたときだぁ」 ヘラリと顔を緩めながらも、キュッと眉だけ寄せた山岡に、キャァァァッ!と派手な看護師たちの悲鳴が上がった。 「お仕置き!ヤバイ~!日下部先生、エッチ~!」 「やっぱり、やっぱり~。いいなぁ、山岡先生。あたしもされたい~!」 ワァァッと盛り上がる看護師たちの声に、ふと日下部がそちらに目を向けた。 「えぇ?お仕置きされたいの?変わってる~。あんな…オレはいやだぁ」 イヤイヤ、と首を振っている山岡を見て、日下部が少しマズイかな~、と思いながら、そちらの側に寄ろうとした。 「何されちゃうんですか?」 ワクワク、と好奇心全開の看護師に、日下部がさすがに慌てて割り込もうとした。 (言うなよ~?まぁ俺は知られても構わないんだけど、酔っ払って暴露して…明日から山岡恥ずかしくて、絶対後悔するから…) 焦る日下部の前で、一歩早く山岡の口が開かれる。 「あのね~」 「っ、やまお…」 「秘密ぅ」 ニコリと笑った山岡に、日下部が勢いを削がれてガクッと膝を折り、看護師たちの悲鳴がさらに増した。 「もうヤバイ~!あたし山岡先生のファンになったぁ!」 「キャァッ、山岡先生、わたしもわたしも。もう胸キュンですよ~」 一気に山岡人気が高まり、日下部は苦笑しつつそっとその場を離れた。 「クスクス。妬ける?」 不意に、そんなこんなを傍観していた光村が、近くまで来ていた日下部に声をかけた。 「あ、お疲れ様です、光村先生」 「うん。いいねぇ、楽しそうで」 「あはは、まぁ…」 ストンと光村の横に座り、日下部は苦笑しながら話に応じた。 「本当に落としちゃうとはね…」 しみじみと呟く光村に、日下部がハッとした。 「光村先生、まさか…」 「ふふ。始めにきみが山岡くんの社交術を鍛えたいと言ってくれたときは…正直ここまで彼の閉じた心を解せるとは思っていなかった」 「っ…」 「きみの下心はわかっていたよ」 サラリと言う光村に、日下部が参った、と苦笑した。 「敵いませんね。それでも託して下さったんですか?」 「きみなら、もしかして、とは思ったよ」 ふふ、と笑う光村は、何もかもを見透しているようだった。 「日下部くんが山岡くんを追ってうちに来たのは知っていた」 ニコリと笑ってグラスを傾ける光村に、日下部はあぁそうか、と思った。 「部長ですもんねぇ」 人事から話は聞いているだろうことにふと思い至った。 「もちろんきみはもう、山岡くんの過去を聞いているのだろうね?」 知らずに恋人を名乗らせはしない、という強い光村の声だった。 だから日下部は、あることに気づいてしまう。 「それはもちろん…。もしかして光村先生は…」 「クスクス。あぁ、知っている。いや、関係者の1人と言った方がいいかな?」 ニコリと笑う光村に、日下部は小さく目を見開いた。 「あなたは…」 「山岡くんから聞いていないかね?」 クスッと笑う光村に、日下部は首を振った。 「そうか。私は、山岡くんの1番大きな絶望を、間近で見た人間の1人だ」 「それは、まさか…」 山岡の絶望。それは何度もあったのだろうけれど、その中でも1番と名のつくものは…。 「山岡汰一さんの…」 「あぁ。医療チームの1人だった。あの人の命を掬い上げられなかった、な」 遠い目をして静かに言葉を紡ぐ光村を、日下部も静かな目で見つめた。 「山岡大先生は、私の若かりし頃の恩師だ。私がまだ医大生だった頃のな」 「っ…」 「私は大学病院には進まず、別の地方病院の勤務医になった。そこへ、引退後の恩師がたまたまやってきた」 「それは…」 「あぁ。山岡汰一先生。癌だった。あの人は、自分の余命をわかっていて、山岡くんを拾ってきた」 山岡から聞いた話と、光村の話が繋がる。 「まだ15…6だったか。暗い、重い少年だった。それでも何度か見かけた彼と山岡汰一先生は、とても仲がよく見えたよ。年からしたら、祖父と孫みたかったけどな」 「そうでしたか…」 「山岡汰一先生が亡くなった後も、噂は耳に届いていた。同期が何人か、大学病院に残っていたからね。その場所が山岡くんにとって、相当な試練の場所だったことも聞いていた」 「っ…」 「その大学病院を辞めると知って、うちに引っ張ったのは、他でもない、私だよ」 クスッと笑う光村に、日下部は、じんわりと胸が温かくなるのを感じた。 「あぁ、こにもちゃんと、山岡の味方はいたんですね」 「うちのスタッフはほとんどが私が育て上げた。山岡くんを迎えるのに過不足はない。信用も置ける。きみも含めてね」 ゆるりと目を細めて、ワイワイと盛り上がっているみんなを眺めながら、光村は自慢げに微笑んだ。 「山岡くんは、今、幸せだと、そう言った。私もいつまで見守っていけるかわからない。だけど、きみになら、安心して任せられそうだ」 「光村先生…」 「あんな風に顔を見せて、幸せそうに笑う山岡くんを、私は初めて見たよ。日下部くん…」 「はい」 「どうかこれからも、山岡くんを頼むよ。辛かった昔の分も、必ず幸せにしてやってくれ」 「もちろんです」 「あれは、山岡汰一先生が拾い上げた、最後の希望なんだ」 父のように、また親友のように、そして同志として、柔らかい目で山岡を見つめる光村に、日下部は強く強く頷いた。

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