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第175話

「さてと。では私はそろそろ病院に戻るかな」 コトンとグラスを置いて立ち上がろうとする光村に、日下部が首を傾げた。 「コールありました?」 「いや、居残りくんと交代してきてあげようと思ってね」 「部長が当直?まさか」 「ふふ。できた上司だろう?だって研修医が1人、明日から話に加われなかったら可哀想じゃないか」 クスクス笑う光村に、日下部は敵わないなと思った。そしてそんな光村だから、ここがみんながこうして笑える職場なんだと分かった。山岡が、大学病院を辞めた後、ずっとこの病院でやってきた理由が分かった。 「後は頼むよ」 コソッと日下部に札を何枚か握らせ、光村はそっと席を立った。 「年の功、だけじゃないですね。あなたもきっと、多くの闇を見てきた…」 「昔語りが聞きたければ、またゆっくり飲み明かそう。それと後1つ、土浦先生の件では悪かったね」 「っ…」 「後から聞いたよ。大学病院、で気づくべきだった」 「いえ」 「ではな。また明日からよろしく頼むよ。今日は思い切り飲みなさい。無事に山岡くんを取り戻したんだから」 1番嬉しいのはきみだろう?と笑う光村に苦笑しながら、日下部は深く頭を下げた。 そっと退席していく光村を見送り、ふと振り向いた日下部は、ベロベロになった山岡が、突然ギューッと抱きついてきてギョッとした。 「ちーひーろっ」 「キャァァァッ!本当に千洋って呼んでる!日下部先生は?山岡先生のこと、泰佳って呼んでるんでしょ?」 ワァッと盛り上がっている看護師たちは、いつの間にか呼び名の話になっていたのか。 すっかり酔っている山岡が、すでに別人だ。 「千洋ぉ。好き」 ニコォッと無邪気に笑って抱きついてくる山岡に苦笑して、日下部は山岡を引きずって席に戻る。 「飲み過ぎ。飲ませ過ぎ」 コツンと山岡に拳骨を落とし、看護師たちにはジロッと睨みを効かせた日下部。けれどすっかり酔っ払っている人間相手には、そんなものは暖簾に腕押しだった。 「キャァッ!メッ、だって!メッ!萌え~っ」 「山岡先生っ、ハグの次はキスよ、キス」 「キ~ス、キ~ス」 ヤイヤイうるさい外野に、さすがの日下部も苦笑する他ない。 「え~?キスはねぇ、気持ちよくなっちゃうから、だめぇ」 ニコリと笑う山岡に、どこがでブホッと誰かが吐いてむせる音がした。 「オイオイ…」 「ゲホゲホッ…。あぁぁぁ、山岡先生がけがれていくぅ~」 「原先生、汚いっ…」 酔っ払いしかいない場は、すでに大混乱の盛り上がりだ。 「キャァッ、気持ちよくなっちゃうとか、ヤバ~イ!日下部先生、やっぱりソッチも上手いよね!」 「ソッチ?」 「エッチ!」 「ん~?千洋はねぇ、意地悪ぅ」 「やぁん、聞かせて、聞かせて」 「上手かはわからないけど~、気持ちいいよ?」 ね?と言わんばかりに日下部を振り返ってニコリと笑う山岡に、日下部はフラリと頭を抱えた。 「もうやめときなさい…」 記憶なくすだろうけど、後悔するから、と言う日下部に、山岡はコクンと素直に頷いた。 「千洋のゆーことは聞く~」 「やぁん、日下部先生、バッチリ調教済みじゃないですかぁ。ヤバ~」 「ふふ。俺のだからね?あまり苛めちゃ駄目だよ?俺の特権なんだから」 クスッと笑いながら予防線を張る日下部に、看護師たちの悲鳴が高まった。 「あ~、も~、やっぱりタラシじゃないですかぁ。なんで山岡先生は、あれがいいんだ~ぁっ」 こちらもすっかり酔っ払った原が叫んで、周りの医師や看護師が宥めている。 山岡は日下部にくっついたままクタリとしているし、それを見た看護師たちがまた大騒ぎだ。 そんなこんなの大盛り上がりの、飲めや騒げや喚けの宴会は、それからも楽しく時を刻んでいった。

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