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第178話

そうして朝食を済ませ、片付けも済ませた2人は、外出の準備を整えて、玄関に向かっていた。 「山岡、どこか行きたいところある?」 「え?え~と、う~ん…」 「ちょっと足を伸ばして海とか中華街にでも行く?」 「そうですねぇ…」 コテンと首を傾げる山岡は、あまり興味を惹かれないようだ。 「あ〜、じゃぁ近場で…そうだな、定番に、スカイツリーとか」 ん?と山岡を振り返った日下部に、山岡の目がキラキラと輝いたのが見えた。 「ふふ。じゃぁスカイツリーに行こうか。初めて?」 「はぃ」 「山岡って、タワー系好きなの?」 前に山岡氏とも東京タワーに行ったような話を聞いた日下部がふと思うのに、山岡がニコリと笑った。 「高いところが…」 「なるほど。じゃぁ決まり」 靴を履きながら微笑む日下部に、山岡が遠慮がちに首を傾げた。 「日下部先生はいいんですか?」 「ん?俺は山岡と一緒ならどこでも」 サラリと殺し文句を言える日下部に、山岡の顔がカァッと赤くなった。 「スカイツリーじゃぁ車はやめるかな。タクシーか…たまには電車乗る?」 最寄駅までは歩けない距離じゃないし、と考える日下部に、山岡がニコリと笑った。 「はぃ」 「じゃぁのんびり散歩がてら歩いて、電車乗るか~」 「はぃ」 コクンと頷いた山岡が靴を履くのを待って、日下部は玄関を出た。 天気の良い温かい日差しが2人に降り注ぐ。 「なぁ山岡、魚好き?」 「えっと、普通です…」 「食べるんじゃないぞ?鑑賞」 山岡の表情から察した日下部が笑うのに、山岡があ、と口を開いて照れ臭そうに微笑んだ。 「水族館ってことですか?行ったことないです…」 「行ってみたい?」 「はぃ」 わからない、と首を傾げる山岡の頭を、日下部がポンと撫でた。 「ソラマチにあるんだ。入ろうか」 ニコリと微笑む日下部に、山岡の目がまたキラキラと輝いた。 そうして電車に乗って、ソラマチに辿り着いた山岡と日下部。 さすが日曜日だけあって、そこそこ混んでいる中、まずは展望台、と、2人はチケットを買って出発ゲートに並んでいた。 「すごい人ですね」 「まぁでも当初よりは全然空いてる」 「そうなんですね。あ、入れるみたい」 エレベーターが見えるロビーにゾロゾロと進まされて、山岡がワクワクとし始めたのが隣の日下部にわかった。 (可愛い。子供みたい。手、繋いだら嫌がるよな~…) 恥ずかしがって困るところも見たいけど、気が散ってしまうのも可哀想かと思う。もしかしたら不機嫌になって怒りだすかも、とも思って、日下部はただ大人しく山岡の隣に立っている。 (まさかこの俺が、ここまで気を使うとはね。しかも、嫌じゃない) 参ったね、と1人考えていた日下部は、不意にクイッと袖を引かれてハッとした。 「日下部先生?来ましたよ?乗りません?」 エレベーターが開いたのに、ぼんやりしてしまっていた日下部は山岡に促されて苦笑した。 「乗るよ」 キュッと日下部の袖を掴んだまま、人の流れにそってエレベーター内に向かった山岡を、同じようについていきながら日下部はふと見つめた。 「いや、まさかな」 「え?」 手を繋ごうか、と考えていたことを見透かされているような山岡の仕草に首を振った日下部に、山岡のキョトンとした目が向いた。 「なんでもない…」 (天然ね…) 袖を掴まれたままの日下部はクスリと笑って、腕にかかる心地よい重さに満足した。 「わぁ…花火?綺麗…」 ふと、エレベーター内の天井付近に映し出されたアートパネルに、山岡が目を見開いた。素直に感動を表情に出す山岡を、日下部がじっくりと見つめる。 「ね、日下部先生…あれ?」 すごいですね、と嬉しそうに日下部を見た山岡は、日下部がパネルではなく自分をジッと見ていたことに気づいて、途端にカァッと顔を赤らめ、俯いてしまった。 「うん、綺麗だね」 「っ…」 何が、と聞く勇気はなく、恥ずかしそうに俯いたままの山岡を日下部が堪能していたところで、エレベーターは展望デッキに着いた。 ゾロゾロと出て行く人の流れに従って、山岡たちも足を踏み出す。 パッと離れてしまった山岡の手を残念に思いながらも、日下部ははぐれないように山岡の隣を歩いた。 「上行くよな?」 「上?まだ上が?」 「うん。天望回廊。後100メートルくらい上がれるんだったか」 ニコリと微笑む日下部に、山岡はコクコクと頷いた。 「じゃぁ行こう」 こっち、と展望デッキを半周して、またチケットを買ってゲートがあるところに向かった日下部。ついていった山岡が、ワクワクと目を輝かせている。 「さすがに空いてる」 すんなりとエレベーターに乗れた日下部は、隣の山岡を飽きずに眺めた。 「う、わぁ…」 天望回廊についてすぐ、山岡がガラス張りになっている回廊に走って行った。 苦笑しながらゆっくりと後を追った日下部は、ミニチュアみたいに見える小さな街並みを見下ろして、さすがにクラリとした。 「小さいなぁ…相当高い…」 ポツリと呟きながら、ふと隣に並んだ山岡を見た日下部は、何故か山岡の視線が下ではなく上を眺めているのに気づいて首を傾げた。 「山岡?」 高いところが好きと言っていたはずだが…と、下を見ようとしない山岡に疑問が募ったところで、山岡が回廊にそって、スルスルと上へ上へと歩いて行ってしまうのを見た。 「ちょっ…」 ガラス張りの回廊から、上ばかりを見つめてスタスタと進む山岡を追った日下部は、1番上のフロアに辿り着いた山岡が、なおもガラスの向こうの空を眺めていることに気づいて、そっとその隣に佇んだ。 「空が…」 不意にポツリと呟きを漏らした山岡が、ガラスに手を伸ばして、上に広がる空を見つめた。 「山岡?」 「上へ、上へ。どこよりも高く、どこよりも近く」 「山岡…」 「私はそこにいる。今まで救えなかった命と共に、それまで掬い上げた命の感謝と共に」 「っ…」 ゆっくりと、誰かの言葉をなぞるように言葉を紡ぐ山岡が何を見ているのか、日下部はハッキリと気がついた。 「待っているよ、おまえはゆっくり来なさい。迷ったら見上げなさい。上を、上を。誰よりも近くに、私はいるよ」 ふわりと言葉を紡いで、スウッと涙を一筋流した山岡が、隣の日下部に視線を移して、ニコリと笑った。 とてもとても綺麗に笑った。 「山岡氏が、遺した言葉?」 「ん…」 「そっか」 柔らかく微笑む山岡の頭をポンと撫でて、日下部もまた、ふわりと微笑んだ。 「東京タワーに行ったとき…。オレにはまだ、いまいち意味がわからなかったその言葉が、今はちゃんとわかるから…」 「うん」 「オレは、高いところが好きです。命の期限を知っていた山岡さんの、少しでも側に近づけるような気がするから。眩暈がしそうな地上よりも、手の届きそうな空を見れるから」 ふわりと笑う山岡に、涙の名残はもうなかった。 「ありがとうございます。ここに来れてよかったです」 「うん、でも地上よりも、空よりも…山岡氏よりも…近くに。もう俺が1番側にいるよ?」 ニコリと笑って山岡の肩を抱き寄せた日下部に、山岡がハッと慌てた。 「あのっ…ひ、人が見…」 「構うものか。山岡の1番近くは、もう俺のもの」 ニヤリと笑った日下部が、空中を睨み据えて強気に言った。 それを見た山岡が、ふと気づく。 「ど、独占欲?嫉妬ですか…?」 「言うね。当たりだけど」 「あ、あの、オレ…も、日下部先生が1番…」 カァッと顔を赤くして早口になる山岡に、日下部の目がとても嬉しそうにゆるりと細くなった。 「知ってる」 ふふ、と笑う日下部に抱かれた肩を、山岡がパッと振り切り、タタタッと回廊の奥に走って行ってしまった。 「逃げたか。まったく、相変わらずスレてないね…」 その気になれば、日下部は山岡を腕の中に閉じ込めるのは簡単だ。 けれどもそうせずに、山岡の好きにさせる日下部は、逃げては追いかけることを楽しんでいる。 ゆっくりと山岡の後を追った日下部は、何やら新たなポイントに立ち止まり、ふと後ろを振り返った山岡に、ゆるりと微笑んだ。 「日下部先生、見てください。最高到達点ですって」 すごい、とはしゃぐ山岡の目には、地上も空もなく、真っ直ぐに日下部が映っている。 「たまらないね」 「ん?」 「いや…」 早く、早くと日下部を誘う山岡に近づきながら、日下部もまた幸せそうに頬を緩めた。

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