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第179話
それから水族館を回り、またはしゃぐ山岡を堪能し、ランチを済ませた日下部は、ソラマチを出て繁華街をブラブラと歩き始めた。
隣では山岡が、いちいち振り返られる人の視線に慣れないように、オドオドとしている。
「ふふ、俺の山岡、綺麗だからみんな見る」
わざと意地悪く意識させるようなことを言う日下部に、山岡の目がますます泳いだ。
「か、髪下ろしたいです…」
イヤイヤ、と俯く山岡に、日下部はニコリと笑う。
「駄目。せっかく自慢して歩いてるのに」
却下、と言い切る日下部に、山岡は涙目だ。
「うぅ…」
「嫌でも慣れるよ。それともいっそ、このまま美容院行く?」
クスクス笑う日下部に、山岡はブンブンと首を振った。
「嫌ですよ。切りませんから!」
力を入れて拒否する山岡に、日下部は、ふぅんと声を上げただけだった。
「まぁいいけど。それならちょっと行きたい店があるんだけど」
付き合って、と言う日下部に、山岡はコクンと頷いた。
そうして日下部に連れていかれたのは、そういうことに疎い山岡でも聞いたことがあるブランドのショップだった。
「日下部先生が好きなブランドなんですか?」
アクセサリーや小物が並ぶメンズショップに入った山岡は、シックな店内をキョロキョロしながら日下部について歩く。
「ん?いや、山岡に似合うかな、と思って」
まぁ好きだけど、と笑う日下部に、山岡の顔がキョトンとなった。
「オレですか?」
「うん。山岡はどうせこだわりないんだろ?」
「あの、なにが…」
「始めは指輪とか思ったんだけど…俺ら外科医だし、どうせしないだろ?」
テクテクと店内を横切り、アクセサリー売り場から少し奥のエリアに進んだ日下部が、勝手に1人で話を進めていた。
「アクセサリーもなぁ。だから時計なら身につけるかな、と」
「あの…」
「やっぱりデジタル?おまえ普段どうしてるの?」
日下部が見ていた限り、山岡の腕に時計はいつも見当たらない。
医師には死亡宣告時に必ず必要なはずなのに、どうしているのだろうかと疑問に思っていた。
プライベートで時々見かけるのは、スマホで時間を見ている姿だ。だけどまさかあの儀式的な場で、スマホやPHSを取り出しはすまい、と思う日下部に、山岡はケロリと答えた。
「あ、白衣のポケットに…」
「うち、禁止じゃないよな?」
実際日下部は、処置やオペ時以外は普通に腕時計をしている。
「はぃ。あの、面倒で…」
確かに、手洗いの度に外す必要はあるし、外してそのまま、となることもなくはないが。
「山岡らしいよな。っていうか、最近わかったけど、おまえ実は面倒くさがりだよな」
ふふ、と笑う日下部は、山岡が意外と大雑把なことに気づいていた。
「そう、かもしれません…」
ポツリと呟く山岡に、少しは自覚があるのかと、日下部は笑う。
「なぁ、俺がプレゼントしたら、してくれる?」
腕時計、と言いながら、ディスプレイされているケースの中を覗く日下部に、山岡がえ?と固まっている。
「嫌?」
「えっと、嫌とかではなく…その、プレゼントって、あの、でもここ…」
誕生日でもなければイベントでも何でもなくて、さらに日下部がいるこの店は、値段の桁が可愛くなさすぎる。
ワタワタと困惑する山岡に、日下部はあれどう?と呑気に時計を選び始めている。
「あの…日下部先生?」
「ん?」
「プレゼントって…」
「うん。山岡に何か贈りたいな、って。俺が選んで俺が買ったものを、身につけてもらえたら、嬉しいからさ」
「でも…」
「束縛アイテム」
「え…?」
「の、代わりかな。多分恋人には、指輪やアクセサリーなんだろうけど…仕事柄、つけておけないものを選んでもな。それともピアス開ける?」
痛がりのくせに、と笑う日下部に、山岡はブンブンと首を振った。
「じゃぁやっぱり腕時計。なぁ、これなんかどうかな?」
似合いそう、と目を細めるその指先の腕時計を見て、山岡はフルフルと首を振った。
「すごく格好いいんですけど…こんな高価なもの、いただけませんよ」
駄目です、と両手を前に突き出して遠慮する山岡に、日下部の表情が寂しそうに曇った。
「俺からの贈り物を身につけるのは嫌?」
「あの、だからそうじゃなくて…」
「じゃぁ買わせて。俺がそうしたいんだよ」
ん?と少々強引に詰め寄ってくる日下部に、山岡はタジタジになりながら、うっかり頷いてしまった。
「あの、はぃ…」
「返事したからな。よし。どれがいい?」
言質を取った日下部が、途端にパッと嬉しそうにして、並ぶ腕時計を眺め始めたのを見て、山岡はまんまと罠に嵌った感があった。
「う~、じゃぁ…」
せめて安いもの…と目を走らせ始めた山岡に気づき、日下部がチラリと流し目を送った。
「気に入ったのにしろよ」
値段を見るな、と怒る日下部に、山岡がギクリと強張った。
「ったく。おかげさまで、これでも俺は稼がせてもらってます」
ふふ、と悪戯っぽく笑う日下部は、多分山岡とそう給料は変わらないだろう。
そこそこ高給取りなのは本当で、まぁそれがわからなくもない山岡は、ストンと俯いて、すっかり日下部に丸投げした。
「く、日下部先生がいいと思うの…で」
そんなことを言ったら、どんな高級なものを選ばれるか分かったものではないけれど、日下部は何となく、そういう嫌味な真似はしないんじゃないかと山岡は思っていた。
「本当、天然でそうくるもんな~。ハマるよな」
ニコリと笑う日下部は、まったく計算なく男心をくすぐる山岡に完敗だ。しかも山岡が日下部を信用して選ばせてくれるのも分かっている。
「ふふ、俺はこれがいい」
派手でなく、けれどさりげなくおしゃれで品があって、まぁ値札の桁は見てはいけないが、フォルムもよくデザイン性も高い、仕事でも邪魔にならなそうでプライベートにも使えるだろう1つの腕時計を指差した日下部に、山岡がニコリと微笑んだ。
「オレも好きです、それ」
あまりファッションにはこだわらない山岡だけれど、見た目の好き嫌いは意外とはっきりしている。
「決まり。色もいい?」
色違いがあるけど、と尋ねる日下部に、山岡はコクンと頷いた。
「はぃ」
「だと思った」
山岡のことならわかる、と自慢げに言いたそうな日下部にニコリと笑って、山岡はジッと決めた腕時計を眺めた。
その横顔が気に入ったと言っている。
(本当、分かりやすい…。でもこれ、実は俺のと同じシリーズって、多分山岡は気づいてないんだろうな)
わざわざ知らん顔をして選んだ日下部は、内心で浮き足立ちながら、店員に声をかけた。
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