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第192話
夜。
結局、日下部の説得に応じ、山岡はマンションに帰って来ていた。
もちろん将平も一緒である。
「あ~、とりあえず夕食を作るから…」
リビングのソファーに座った将平と山岡の間には、シーンと気まずそうな雰囲気が漂っている。
「えっと、オレ…」
ふと、気遣うように将平を見た山岡が、テーブルに乗っていたリモコンをパッと手に取った。
「あ、あのっ、テレビでも見ていて。オレ、日下部先生の手伝いしてくるからっ」
たまたま適当なアニメがついたのをこれ幸いと、山岡は立ち上がってキッチンへと駆けていく。
「く、日下部先生、お手伝いします」
「ん~?別にくつろいでいてくれていいんだけど」
「いえっ、手伝わせてください」
「ん、まぁいいけど。じゃぁ手を洗って…」
将平と2人にされても会話がもたないんだろうな、と思う日下部は、クスクス笑いながら山岡のスペースを空けた。
トントンと手際よく料理を進める日下部の隣で、山岡が時折飛んでくる指示に従いながらチョロチョロしている。
「クスクス、なんだか、山岡の指導医にでもなった気分だ」
「え。日下部先生が指導医とか…」
嫌だな、と露骨な顔をする山岡に、日下部の目がキラリと光った。
「言うね」
「っ、だって日下部先生…」
「ん?」
「う。だって、日々のしごきによれている原先生の姿を見てますから…。オレはあんなに打たれ強くないです」
あはは、と笑う山岡に、日下部の目がますます楽しそうに細められた。
「どMのくせに?」
「っ、オレはそういうんじゃないですっ」
ガシャン、とかき混ぜていたボウルの中身を飛び散らして喚く山岡を、日下部は楽しげに見つめた。
「なかよしだねぇ」
不意に、キッチンカウンターの向かい側に来ていた将平が、2人の様子を見てポツリと呟いた。
山岡がギョッとなり、日下部がクスクス笑う。
「仲良しだよ。とってもとってもね」
「ちょっ、子供相手に何を…」
平然と山岡の肩を抱いて言う日下部に、山岡がワタワタと慌てる。
将平が、ジーッと日下部に視線を向けた。
「パパの、こいびと?」
「は?え…」
「ふふ、その通り」
「ちょっ、日下部先生っ!」
そんなはっきりと、と慌てる山岡に、日下部は平然と鼻を鳴らしている。
「おじちゃん、とってもきれいだね」
「え?あの…」
「クスクス、だろう?俺のだから、盗るなよ?」
「だからっ、日下部先生っ…」
もう嫌、と日下部の手を振り払った山岡に、将平のニィッとした笑顔が向いた。
「ぼく、今日おじちゃんとおふろ入る!」
いきなりパッとカウンターを回り込んできた将平が、山岡の側に走ってきて、ギュッと腕を組んだ。
「は?え~と、将平くん…」
「何言ってるの。このおじちゃんは俺のなんだから、駄目に決まってるだろ。きみは俺と入るの」
グイッと肩を引き寄せ、将平に本気で対抗している日下部に、山岡が思い切り苦笑した。
「あの…日下部先生?」
「んべぇ~だ。おじちゃんだって、パパみたいなおっさんじゃなくて、ぼくみたいなピチピチでかわいい子の方がいいに決まってるも~ん」
盛大なあかんべをする将平に、日下部のこめかみがピクピクと引きつった。
「ガキ。本性出したな…」
「ふふ、ねっ?え~と、山岡…」
名前は?と首を傾げる将平に、山岡は反射的に口を開いていた。
「泰佳だよ」
「じゃぁやすくん。ねっ?」
ニコッと無邪気に笑う将平に、山岡はうっかりつられて微笑んだ。
「山岡~」
「え?あの…」
「また浮気?原にとらときて、今度は将平くん?本当、なんでそう男にすぐ懐かれるんだ」
ジロッと睨んでくる日下部に、山岡は苦笑するしかなかった。
「いや、あの、相手は5歳児なんですけど…」
「歳なんて関係ない。男は男だろ」
本気で敵対心を燃やしている日下部に、山岡はただ困惑した。
「そうだよ、やすくん。れんあいにとしなんてかんけいないんだから。ぼくだってすぐに、パパよりいい男になるよ」
ニコッと強気に笑う将平は、確かに日下部との血の繋がりを感じるものがあった。
「俺はパパじゃない。兄だ」
「え?お兄ちゃん?ふぅん、まぁいいや。どっちだって。でもやすくんはぼくがもらうからね」
意味がわかっているのかいないのか、ニコリと笑う将平の表情は意地悪モードのときの日下部のものによく似ていた。
「山岡、浮気したらお仕置きだからな」
キラリと目を光らせる日下部に、山岡は脱力した。
「だから、ありえませんから…」
「ふん、まぁいい。食事にするぞ。早く席につけ」
すっかり将平を敵と認識した日下部が、クイッと将平の席を顎で示した。
そうして将平と日下部が席についたところで、ようやく夕食となった。
「いただきます」
丁寧に頭を下げる山岡にならって、将平もきちんと挨拶をしてから食事に手をつけ始めた。
「残すなよ?」
「の、のこさないもん…」
「にんじんを避けているように見えるけど?」
「よ、よけてなんかっ…」
黙々と食べている山岡の横で、日下部と将平がバトルを繰り広げている。
「あの、日下部先生?あまり苛めなくても…」
大人気ない日下部に、思わず将平を庇ってしまった山岡に、日下部の冷たい目が向いた。
「苛めてなんかないよ。好き嫌いをせずにバランスよく食べるのは大事だろう?なぁ、お医者さん」
ニコリと嫌味に笑う日下部に、食に関しては立場の弱い山岡が、ギクリと身を竦めた。
「そ、そうですね…」
「あ~。やすくんをいじめないでよね」
「ふふ。苛めてないよなぁ?山岡?」
「っ…はぃ」
これはもう、口を挟むと薮蛇になりかねないと、山岡は黙って食事を口にし始めた。
おかげで日下部と将平は、バチバチと火花の飛ばし合いを続けていた。
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