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第193話

そんなこんなで食事を済ませ、最後まで山岡と入ると喚いていた将平を、日下部が無理やり風呂に引きずっていき、それでもやはり5歳児か。風呂を出た後すぐに、疲れたように眠ってしまった。 そんな将平を寝室に寝かせ、山岡が風呂に入るのを待って、日下部はのんびりとリビングでくつろいでいた。 「あ、お風呂いただきました」 ホカホカの湯気が山岡から立ち上る。 「ちゃんと温まった?」 「はぃ」 「山岡、まだ眠くない?」 「大丈夫です」 「じゃぁ少し話そうか」 ニコリと微笑む日下部に、山岡はコクンと頷き、日下部の隣に腰を下ろした。 「ふふ、いい匂い。泰佳の匂いだ」 ギュッと横から肩を抱き寄せてきながら、日下部が幸せそうに笑った。 「絶対に手放さないから。あの人が何をしてこようと、何を言ってこようと絶対に」 ギュゥッと痛いくらい抱き寄せられて、山岡はわずかに眉を寄せた。 「千洋?」 「ん?」 コテンと首を傾げる日下部に、山岡はそっと日下部の抱擁から抜け出した。 「泰佳?」 「あの。あの人というのは、お父さんですか?」 窺うように尋ねる山岡に、日下部は静かに頷いた。 「うん。日下部千里。俺の父親で、かの大企業センリのトップ。社長様だよ」 ふっと侮蔑を含んだ吐息を漏らして言った日下部に、山岡がわずかに驚きを見せた。 「社長?センリって…」 それは、いくら経済界に疎い山岡でも知っている、名だたる有名企業の頂点に立つ大企業の名だった。 「さすがに知ってる?」 「傘下の企業や関連会社は、それこそそこらじゅうに…」 「うん。そのセンリグループの頭だよ」 「すごい…」 ぼんやりと呟く山岡に、日下部の表情が、とてもとても綺麗なものになった。 それは、完璧な作り物の笑顔で。 「すごい?うん、そうだね。すごいよね、年商何十億という会社社長だものな」 「っ…」 「お金大好き。女大好き。そのくせ世間の目を気にしてばかりいて、傍目に見せている姿は、身綺麗で家庭人で、最愛の1人息子は優秀な消化器外科の名医なんです?本当、すごいすごい」 はっと笑って、拍手までしてみせて、日下部がローテーブルの下の積み重なっていた雑誌の中から何冊かをバサッとテーブルの上に出した。 「っ、千洋…?」 「顔、覚えておいて。直に接触させるつもりなんてないけど、あの人ならわからないから」 日下部が出した雑誌は経済誌からファッション誌など数冊だった。 「っ、これ…」 そのうち一冊を手に取ってパラパラと眺めた山岡は、すぐに日下部の父という人がインタビューを受けているページを見つけた。 日下部によく似た、けれど日下部より多少老けたいい男が、スーツ姿で立派な社長椅子に座り、足を組んで微笑んでいる姿が写っている。 「読んでいいよ。本当、俳優か詐欺師にでもなれるんじゃないの」 嫌悪感もあらわに写真を睨みつける日下部の言葉の意味は、山岡にはすぐに分かった。 「妻ただ1人を愛しています…。最愛の息子は名医で自慢の息子です…。大企業のトップでありながら、家庭をきちんとかえりみて、家族を大切にする素晴らしい夫であり、父であり、そして会社社長…」 「はっ、笑えるだろ?女なんて外に掃いて捨てるほどいるくせに。何せ孫ほどの年の子供を作るようなやつだぞ。しかも何が最愛の息子だ、自慢だ、気持ち悪い。家庭人どころか、家族なんて常に放ったらかしの会社人間のくせに」 いっそ憎しみすら感じる日下部の声色に、山岡はパタンと雑誌を閉じて、日下部をそっと見つめた。 「千洋…」 「うん。そのくせ、俺の選んだパートナーが男だと、多分知れて。その途端、介入してこようとしてる。散々無干渉を貫いておいて、自分の世間体に都合が悪くなった途端、干渉を始めてくる。何様だ」 ギリッと奥歯を噛み締めた日下部を、山岡は横からそっと抱き締めた。 「オレには何ができますか?」 静かに囁くような、想いのこもった山岡の声だった。 ピクリと日下部の肩が震える。 「オレは実の親を知りません。その相手を憎みそうなほど嫌いになることがどんな思いなのか、オレにはよくわからない。だけど…哀しいことだとは分かります」 「泰佳…」 「オレは、千洋のために何ができますか?」 ギュッと日下部を抱き締めて、必死に言う山岡に、日下部はそれまでの刺々しさを一瞬で消して、ふわりと優しく微笑んだ。 「泰佳はただ、俺の側にいればいい。ただ俺を愛してくれればいい」 「ん。それはもちろん。他には?」 「いらないよ、何もいらない。今更親の愛情が欲しいなんていう歳でもないし、かといってわざわざ認めてもらいたいとも思わない。俺はもう泰佳以外の家族なんていらない」 肉親に対して、完全に諦めているような日下部の言葉だった。 「そうですか…」 「うん。だから泰佳、この写真の男を見たら、全力で逃げるんだよ?間違っても近づいていっちゃいけないし、挨拶すら駄目だからな」 完全な敵、と言わんばかりの扱いに、山岡は苦笑しながら首を傾げた。 「でも、千洋のお父さんでしょう?そこまで警戒する必要は…」 「あるから言っている。いい?見かけたら、すぐに逃げるんだ」 できの悪い子供に言い聞かせるように繰り返す日下部に、山岡は曖昧に微笑んだ。 (嘘はつきたくない…。だけど、オレが可能ならば話くらいは聞いてもらいたいと思っていることを、きっと日下部先生は気に食わない。だから、約束はできないなぁ…) 「泰佳?」 「千洋。オレは千洋が好きですよ」 ニコリと笑って、自ら日下部にキスをした山岡に、日下部の目が薄く細まる。 日下部は、山岡が日下部の言いつけにはっきり返事をしなかったことも、何かを考えていることも、誤魔化すようにキスをしてきたことも分かっていた。 「泰佳。俺はもう、おまえのいない未来は描けない。それだけは忘れないで」 「はぃ…。千洋、好き。大好き」 もっと深いやつ、と日下部の唇を求める山岡に、日下部は要求通りの甘い蕩けるようなキスを存分に山岡に与えた。

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