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第204話

その同じ頃、日下部の方は、指定時間ちょうどに、父親の経営する会社の本社社長室に辿り着いていた。 「社長、千洋さんをお連れしました」 秘書が開けた扉の向こうへ、日下部もゆったりと足を踏み入れる。 真正面の大きな執務机の向こうに、社長椅子に座った父の姿が見えた。 「やぁ千洋。久しぶり」 「どうも」 ニコリと微笑んだ、日下部によく似た、けれど歳を重ねた父の顔を、日下部は無表情で見つめる。 「ご苦労」 労う父の言葉に、秘書は一礼して静かに部屋を出て行った。 「まぁ座って」 部屋の一角のソファセットを示す父に、日下部はスタスタとそちらに足を向け、ドサッと乱暴に腰を下ろした。 社長椅子からスッと立ち上がった父もまた、ソファセットの方に歩いてくる。 バサッ。 「見たよ」 ふと、間近まで来た父が、テーブルの上に1冊の雑誌を放ってきた。 その表紙は日下部も見慣れた、以前に自分が載った雑誌のものだった。 「ふぅん」 「よく撮れている。おかげで紹介してくれというお嬢さんたちが後を絶たない」 さすが我が息子だ、と笑っている父にも、日下部の無表情は崩れなかった。 「しかし、いつの間にか、お相手がいるようじゃないか」 ここには特定の相手はいないと書いてあるのにな、と笑う父に、日下部の冷めた目が向いた。 「雑誌のインタビュー記事が真実などではないことは、あなたが1番よく知ってるだろ」 フッと吐き捨てるように言う日下部の向かいのソファに、父がゆったりと腰を下ろした。 「まぁ、編集部とこちらの都合のいいようにしか書かれないな」 クックッと笑う父を、日下部は汚いものを見るような目で見た。 「遠回しに言ってないで、さっさと本題に入ったら?」 お互い暇じゃないんだから、と言う日下部に、父は薄く目を細めた。 「本題?」 クスッと笑う父の顔は、自分によく似ていて、日下部は不快感に苛々し始めた。 (このたぬきが…) 「八代将平。あんな子供まで利用して」 「ふふ、少しは焦った?いや、おまえは抜かりないよな。でもお相手は?」 やはりか、と父の企みを分かっている日下部は、ギロッと父を睨みつけた。 「あいにく、信頼し合っているものでね」 フンッとばかりに言い捨てれば、父の顔が苦いものになった。 「別れなさい」 スッパリ。遠回しにも、オブラートに包むこともなく、はっきりと命じてきた父に、日下部はニヤリと嫌味な笑みを浮かべた。 「断る」 「千洋」 「なんですか?お父様」 わざと嫌味ったらしく丁寧語を使った日下部に、父の冷やかな目が向いた。 「その歳で独身でいることも、女遊びを続けることも構わない。むしろ引く手数多で絞りきれないと、いくらでも言い訳は立つ」 「……」 「でも男は駄目だ」 ピシリと言い切る父に、日下部はチラリと壮絶な流し目を向けた。 「あなたに指図される筋合いはない」 「千洋!」 途端に声を荒げる父に、日下部は思わず笑い声を漏らした。 「ふっ、ははは。あなたの慌てる姿は面白い」 「千洋…。これは、遊びや冗談ではないんだぞ」 ムッとわずかに機嫌を損ねて呟く父に、日下部は楽しげな表情を崩さなかった。 「そう。俺も遊びや冗談じゃない。本気だ」 綺麗な笑みを、ギッと真剣な目に変えて、日下部は父を睨んだ。 「はぁっ…。何故だ。おまえは女が好きだっただろう?それとも未だに反抗期か」 いくつだ、と呆れる父に、日下部はハッと馬鹿にしたように笑った。 「あなたには、きっと一生分からない」 人を心の底から愛しいと思う気持ち。 その想いの前には、性別なんて些細なことは、どうでもいいと思う気持ち。 「俺は何があってもあいつだけは手放さない」 堂々と言い切る日下部に、父は疲れたように溜息をついた。 「頑固だな。仕方ない」 スッとソファから立ち上がった父が、執務机の方に歩いていき、机の中から何かを取り出した。

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