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第208話
すぐに入れ替わる形で、父の第1秘書であり、ボディーガードも兼ねている男が入ってきた。
「ったく、クソだぬきが…」
「……」
「あなたもあなたですよ。睡眠薬を盛ったりして。死んだらどうしてくれるんです」
所詮素人が、と文句を垂れる日下部に、秘書は入り口付近にピシリと佇んだまま、ふわりと微笑んでみせた。
「社長の大切なご子息様に、そのような危険は犯しません」
サラリと嘯く秘書に、日下部の視線が胡乱なものになった。
「なぁ…これ、解いてくれません?」
「できかねます」
「痺れてるんですけど。じゃぁせめて前に縛り直すとか」
「無理ですね」
手、と催促する日下部に、秘書の答えは素っ気なかった。
「別に逃げたりしませんよ。あなたに敵うとも思っていませんし」
隙をついたところで、こちらはただの医者。武道の達人相手に勝てるなどと思うわけがない。
それでも秘書は、無言でただ首を振った。
「チッ。これでも、それなりに必要とされている手なんだよね…。もう少し丁寧に扱ってくれてもよくない?」
山岡ほどとは思わないが、自分の腕にも多少の価値はあると思っている。確かに日下部くらいの腕を持つ外科医はそれなりにいるが、だからと言ってこんな風に無造作に扱われるほど安くはない。
「社長は、千洋さんが医者であることも奪うおつもりです」
冷たく言い切る秘書に、日下部の乾いた笑い声が響いた。
「はっはは。今になって、そこまで焦る理由は?あの人は確かに自分で言ってたな。老いたと。はっ、だからと今更、俺があの人の傀儡になるとでも?」
冗談じゃない、と笑う日下部に、秘書の寂しそうな目が向いた。
「社長はあなたを愛しているだけです」
「嘘だね、くだらない。あの人は、人なんか愛さない。あの人が愛しているのは、仕事と金と自分自身だけだ」
あぁ寒い、と笑う日下部に、秘書の目が静かに伏せられた。
「いくら言われようとも、俺は後継者になんかならない。俺は医者だ」
「……」
「山岡とも別れない。一生共に歩くと誓った」
フン、と言い放つ日下部に、秘書の目がゆっくりと持ち上がった。
「千洋さんの方はそうお考えでも、あの方は違います。社長から、お写真を見せられたでしょう?」
「くだらない。あんなのは、どうせあなたたちが何かを仕組んだに決まっている。あんなこと、絶対にありえない」
あの山岡が、俺以外となんてあるわけない、と日下部は軽々と言い放つ。
そこに溢れる自信に、秘書が痛ましそうな目を向けた。
「千洋さんは、お父上のことを、あまりにご存知ない」
フーッと嘲笑まじりに吐き出された秘書の吐息に、日下部の顔がくしゃりと歪んだ。
「わかっていないのは、あなたたちの方だ…」
ぽつりと、小さく呟かれた日下部の声は、秘書の無言と共に静かに部屋の空気に溶けていった。
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