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第212話

「はぁ、はぁ。本当、助かった。ありがとう」 「大丈夫か?」 「うん。薬使われたからちょっとね…」 「うはぁ。何なん」 「多分、ペントバルビタール」 ふらつく頭を振りながら、日下部は苦笑した。 「うわ。ごっつ強い睡眠薬やん。千里おじちゃん、無茶しよる…」 怖っ、と苦笑する谷野に、日下部はフゥと息を吐き出した。 「とらに伝えてから来てよかった」 今日、父と会う前に、ちゃんと手を打っておいた日下部は抜かりない。 けれどそこまで身内に信用がなく、そして実際にそれが無駄でも大袈裟でもない状況に、谷野の顔がわずかに曇った。 「何やっとんのや、叔父貴…」 実の息子やぞ?と苛立つ谷野に、日下部は静かに首を振った。 「今更だ。それよりとら、早くここ、離れよう」 ホテルを逃げ出せたとはいえ、いつまでもグズグズしていたい場所ではない。 日下部はタクシーを呼んでくれた谷野と共に、車内に乗り込んだ。 「ふぅ…見ろよ。大事な手を」 手首についてしまった跡をさする日下部に、谷野が苦笑した。 「酷いなぁ」 「まったくね。あの人はさ、俺から山岡も、医者という仕事も奪いに来た」 疲れたように笑う日下部に、谷野の静かな目が向いた。 「そっか…」 「とら。俺はさ、山岡さえいれば、他に何もいらない」 ポツリ、といつになく小さな声で呟く日下部に、谷野がハッとした顔になった。 「ちぃ!」 「うん。重いかな?でも…本当に俺は、山岡さえいればいいんだ…」 あの、日下部が。いつでも強気で傲慢で、自信たっぷりで何様な日下部が、似合わずもらした、本気の弱音だった。 「ちぃ…」 「うん。山岡はこんな俺を怒るかな?家族を初めから持たない山岡は、悲しむかな…?」 その反応だけが怖いな、と笑う日下部を、谷野はただ黙って見つめた。 深い覚悟を決める日下部に、谷野が今言える言葉は何もなかった。

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