233 / 426

第233話

「オレは、何も…。あなたほどのお金も、地位も権力も何も、オレは日下部先生にあげることは出来ません…」 ポツリと呟いた山岡に、千里はほら見たことか、と嘲笑を浮かべた。 「オレはただ、日下部先生の側にいるしかできない」 ポツリポツリと言葉を紡ぐ山岡に、千里の長い溜息が聞こえた。 「まったく話にならないじゃないか」 「そうですね。もしも日下部先生が、そういうものを欲しがるのなら、オレにはどうしようもありません」 大企業のトップと、ただの1医師など、比較にすらならない。 けれど山岡は決して卑屈な顔はしていなかった。 「ふうん。分かっているのなら…」 「っ、だけど!…だけど、日下部先生は…」 ぎゅっ、とテーブルの下で拳を握り締めた山岡が、キッと真っ直ぐに視線を上げて、ゆっくりと深く瞬きをした。 「日下部先生は、医師だから。あなたが用意するそういうものは、必要ないんじゃないかと思うんです」 震える唇をきゅっと引き結び、山岡は真っ直ぐに千里の反応を待った。 ジッとそんな山岡を見つめていた千里の目が、スゥッと細くなり、面白そうに弧を描く。 「ふはは、言ってくれるな。だがな、その医者ごっこは、もうすぐお終いさ」 悠然と言い放つ千里に、山岡の顔がくしゃりと歪んだ。 「医者ごっこ?」 「医者ごっこだ。千洋が医師をしているのはな、ほんの退屈しのぎの遊びにしか過ぎない」 「っ、なにを…」 「千洋には、そんなお遊びの医者など辞めさせて、近々社の経営に入ってもらう予定だ」 まるで当たり前のことを当たり前に言っているだけかのように、千里の声には揺るぎがなかった。 「日下部先生が、医者を辞める…?」 ありえない、と呟く山岡を、千里は冷たく見つめた。 「あぁそうだ。私は、千洋が進路を選ぶとき、医学部に行きたいと言ったから頷き、文句ひとつ言わず学費も生活費も与えた」 「っ…」 「散々自由を謳歌させてやったんだ。もう十分気が済んだはずだ」 「っ、だけど日下部先生はっ…」 「あぁ。確かにあの子は、立派に医者になったな。けれど、そこまでだ」 フッと笑う千里の表情は、なにかの思惑を孕んで揺れていた。

ともだちにシェアしよう!