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第235話
「分かりません」
「なに?」
「っ、分かりませんよ、どうして分からないんですか?」
震える唇を開いた山岡は、必死に必死に千里を見つめた。
「きみは何を言っているのだね…」
言っている言葉が滅裂だ、と眉を寄せる千里に、山岡はただフルフルと首を振った。
「はぁっ…」
「っ、あなたと、日下部先生は…」
(本当は互いに、互いの心をどうしようもなく求めているのに…)
ぎゅっと痛みを堪えるように歪んだ山岡の顔を見て、日下部の口元が薄く笑みを浮かべた。
「ふっ、どうした。言葉が尽きたか?」
「っ、違…」
(いや、違わない、か。この人は、日下部先生を、どこまでもどこまでも思っている。進路選択の自由を尊重して、未来の可能性を思うがままに広げてあげて…。今も…。いつだって、日下部先生のベストだと思うことを考えてあげているのに…重ならない)
どうあってもすれ違う、2人の想いを、けれどもどうやって千里に納得させればいいのか。これまで、人と上手く交わってこなかった山岡には、あまりに難易度が高すぎた。
その沈黙は、千里に恰好の隙として奪われる。
「今一度言う。千洋と、別れろ」
「っ…い、や、です…」
かろうじて山岡が紡げたのは、震える声でのただその否定の一言で。
「ふん。私は今ここで、きみを千洋の側から完全に排除してしまうことができる。2度と、千洋の元に帰さないこともな」
「っ…」
「それともきみを人質として利用して、千洋を服従させようか」
クスクス笑う千里に、山岡はそっと目を伏せた。
(あぁ、この人はちゃんと千洋のことが好きなのに。またそんなへその曲がったことを…)
「何故ですか…?」
「なんだ」
「どうして素直にそのまま真っ直ぐぶつからな…」
そこまで呟いて、山岡はふと、それとそっくり同じことをしている人間が思い浮かんだ。
「似ていますね…」
ふっと笑ってしまいながら、山岡はゆっくりと伏せていた目を上げた。
「そっくりです」
クスクス笑ってしまう山岡の目は、とても愛おしいものを見るように柔らかく緩んでいた。
突然の山岡の態度に、千里の纏う空気がピリリと張り詰めた。
「何が可笑しい。随分と余裕のようだが、きみは今自分が置かれている立場がわかっているのか?」
愚かな、と冷笑を浮かべる千里も、もう山岡には怖くもなんともなかった。
「日下部先生もね、あなたのことを、本当は好きで…。本当は振り向いて欲しくて、でも言えなくて。だからあなたのことを嫌いな振りをしている。反発して…そして今、一番間違った方向に進もうとしてる…」
そんなの駄目です、と呟く山岡を、千里は射るように睨んだ。
「きみに何がわかる」
「え…?」
「親というものを知らないきみに何がわかるんだ」
冷たい冷たい千里の声にビクリと身を竦めた後、山岡は少し困ったようにふわりと微笑んだ。
「そうですね。わかりません…」
「ほら」
「でも、日下部先生のことはわかります」
「なに?」
「話を、してください」
「なにを…」
「日下部先生ときちんと話を。とっくにその対象がいないオレにはできない…。でもあなたと日下部先生は、まだ間に合う。だから、きちんと話を…。きっとわかり合えるから…」
ペコリと頭を下げた山岡に、千里の目が初めてフラリと揺らいだ。
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