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第249話
翌朝、山岡が目を覚ましたときにはもう、日下部の姿はなかった。
いや、すでに日付けも変わっていたし、もしかしたら夜あのまま居なくなっていたのかもしれない。
隣で寝た形跡はなく、出てみたリビングも冷え冷えとしていた。
「怒ってるよな…」
許されたわけではない昨日の終わりを思い出しながら、山岡は水でも飲もうとキッチンに向かった。
ふと開けた冷蔵庫に、小さなお弁当箱を見つけて、山岡は思わず泣きそうになった。
見れば、煮物にポテトサラダ、スクランブルエッグとトマトが綺麗に詰められていて、明らかに朝食にしろと言わんばかりだ。
ハッとして振り向いた調理台の上には、おにぎりが2つ、皿に乗せられてラップがかけてあった。
「っ…怒ってたのに…」
それでもこうして山岡を大事にしてくれる日下部に、山岡はグスグスと鼻を鳴らしながら、ありがたくそれらを平らげた。
「おはようございます…」
久々に1人で出勤してきた山岡は、ナースステーションに顔を出して、入院患者のカルテのチェックを始めた。
「山岡先生?座りません?」
ふと、たまたま側にいた看護師が、立ったまま机にもたれるようにしてカルテをめくる山岡に首を傾げている。
「っ、あ、えっと…」
途端に挙動不審になる山岡に、看護師の怪訝な目が向いた。
「山岡先生、どうかし…あ。あぁ!すみません~」
困惑したまま座る気のなさそうな山岡を見て、ふと看護師が何かに思い至ったような顔をした。
ついでにポッと顔を赤らめ、何やら気遣うように頭を下げてニコニコ去っていく。
「え、あの…」
まぁ大体何だと思われたかが分かって、山岡は思わず深い溜息をついてしまった。
(ハァッ。参ったな。まだお尻、こんなに痛いなんて…。座れそうにないし、変な勘違いされたっぽいし…)
日下部との関係はすっかり公認で、下世話な想像をされていることも知っている。
また噂になるかも、と苦笑しながら、山岡はのんびりと続きのカルテをチェックし始めた。
「あ、山岡先生、おはようございます」
ふと、ナースステーションに入ってきた原の声に、山岡はカルテから顔を上げた。
「おはようございます」
「なんで立ってるんです?」
疲れません?と首を傾げながら、原が机を挟んだ向かいの椅子に腰掛けた。
「いえ…」
フルフルと首を振る山岡に、原は深く考えなかったのか、ふぅんと呟きながら、ふと山岡の前に紙を突き出した。
「あの、山岡先生、オーダーの確認してもらっていいですか?」
これなんですが、と渡されたデータを受け取り、山岡が内容を眺めた。
「安倍さん?うん、いいんじゃないかな。日下部先生は?」
指導してくれないの?と首を傾げた山岡に、原が苦笑を浮かべた。
「あの人、今朝めっちゃ早く来たかと思ったら、そりゃもう滅茶苦茶不機嫌で…。恐ろしくてとても話しかけられるような雰囲気じゃありませんでしたよ~?」
喧嘩でもしました?と笑っている原に、山岡は驚いて目を丸くした。
「日下部先生が?」
まさかあの日下部が、プライベートな感情を撒き散らすとは思えなくて、けれどそれが事実なら、日下部が相当参っている証だ、と山岡は困惑した。
「喧嘩ならサクッと仲直りしちゃって下さいよ~。やつ当たりしてくるような人じゃないんですけど、纏っているオーラが怖すぎです」
居心地悪い、と言いながら、原は山岡からオーダー票を受け取った。
「喧嘩…ではないんですけど…」
「まぁ、日下部先生、外来だからよかったですけどね~」
少なくとも午前中は平和、と原はのんきに笑っている。
「山岡先生とフリー、ラッキ~。あの、お時間あったらでいいんですけど、この症例のオペ法についてなんですけどね、なんかいい論文教えてもらいたいです」
昨日から取り掛かっている課題が…と縋り付いてくる原に、山岡は苦笑しながら、見ていたカルテをパタンと閉じた。
「後で医局で見ようか?」
「わ!ありがとうございます!」
「ひとまず病棟回ってきます」
ゆっくりと歩き出した山岡の歩みは遅い。
「…?」
キョト、と山岡を見た原が、ピョコンと椅子から立ち上がった。
「おれもついて歩いていいですか?」
「え?別に構わないけど…」
暇なの?と首を傾げる山岡に、原がニッと笑った。
「たまには先輩医師の回診見たいな~とか」
「そう?」
普通だよ?と不思議そうにしている山岡の後ろを、原はのんびりついて行った。
(そんなぎこちない動きしていて、隠せてるつもりですか~?まったく、あの鬼オーベンは平日でも構わずかっ。フォローしときますよ~)
ここにはいない日下部に、んべーっと憎まれ口をきく勢いで、原は山岡の後を追った。
まさか山岡がお尻を庇っている理由が叩かれたものだとは夢にも思わず、看護師たちと同じような解釈をした原は、ノロノロ歩く山岡の後ろ姿を見て苦笑していた。
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