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第250話
そうして原の心配をよそに、ゆっくりとだが、そつなく病棟診察を終えた山岡は、医局に向かって廊下を歩いていた。
隣に並んだ原が、何やらあれこれ話しかけている。
そんな2人の向かいから、ふと光村がやってきた。
「光村先生、お疲れ様です」
ペコリと頭を下げた山岡に習って、隣で原もお辞儀をする。
2人の前で止まった光村が、コイコイと山岡を手招きした。
「山岡くん、今時間空いてる?」
「はぃ」
「よかった。ちょっと付き合って」
ニコリと微笑む光村に、山岡は首を傾げながらも頷いた。
「いいですけど、どうしました?」
「ん?それが、ギネ(産婦人科)から呼び出し。一緒に来て」
「ギネですか…。はぃ」
あまりいい予感はしないと思いながら、山岡はコクンと頷いた。
「原くんも空いていたら来るといい。勉強になるよ」
山岡の横で静かにしていた原も誘って、光村が歩き出した。
その後を山岡がついていく。
ハッと慌てた原もまた、山岡の後を追いかけた。
そうしてたどり着いた産婦人科外来の診察室前。
受け付けに到着を伝えていた光村が出てきて、山岡たちは診察室の奥の予備の処置室らしき部屋に通された。
ドアを閉めれば密室になるタイプの部屋で、窓はない。
ベッドが1つと診察用デスクと同じものが一脚、シャウカステンも一応あり、パソコンも置かれている。
壁際にそびえ立つファイルや本が詰まった棚があるのを除けば、診察室や処置室と変わりない部屋だ。
「わざわざご足労願ってすまないね~」
パタパタとサンダルの音を響かせて、産婦人科医がカルテ片手に入ってきた。
「この患者さんなんだけどね~」
採血結果の紙を開きながら、産婦人科医が光村に椅子を勧めた。
「一昨日の夕方頃から胃が痛かったみたいでね、嘔吐もしたんだけど、つわりかと思ってたらしくて」
「ふむ」
「昨晩、痛みがどんどん酷くなって、どうやら右下に下りてきているらしいんだよね。マックバーニー点にしては大分上なんだけど、反跳痛もあるし…」
産婦人科医の話を聞きながら、山岡と光村は血液検査の結果を眺めた。
「見ての通り、炎症の数値、高いでしょ?」
「そうだねぇ」
「エコーには映らなかったんだけどね…」
あまり自信なさげに言う産婦人科医に頷いて、山岡が口を出した。
「アッペでしょうね」
「あ、やっぱり?そうだよねぇ」
うんうん、と頷く産婦人科医に頷いて、山岡は光村を見た。
「アッペだねぇ…。どうするか」
「それで呼ばせてもらったんですよ~。切るべきか、点滴入院で散らすか」
う~ん、と首を傾げている産婦人科医が、縋るように光村と山岡を見た。
「この数値じゃぁ、点滴ってのはちょっとなぁ」
「妊娠中のアッペは重症化しやすいですしね…。今何週ですか?」
「20週だね」
「光村先生…」
「うん。山岡先生はどう思う?」
「切るべきですね」
「私も同意見」
うん、と頷き合う光村と山岡を、原がキョロキョロと見ていた。
「このまま腹膜炎にでもなったら、胎児を諦めなきゃならない可能性だって増してくる。もちろんオペをして流産の可能性が0ではないけれど…リスク説明して納得されるのなら、我々は切る方向だね」
うん、と意見を述べた光村に、産婦人科医が神妙な顔で頷いた。
「では手術決定で。話させてもらいます」
「同席しよう」
産婦人科医の声に、光村の声が続いた。
「山岡先生、執刀いい?」
首を傾げる光村に、山岡はすんなり頷いた。
「はぃ。やります」
「じゃぁ頼むよ」
「はぃ。あの、できれば腹部CT撮らせてもらって下さい。20週なら、1、2回なら大丈夫ですよね?」
「まぁ、催奇形性もないとは思う」
「開けてから虫垂探って胎児に負担かけるより、画像で特定しておいた方がリスク減りますから」
山岡の要求に、産婦人科医はすんなり頷いた。
「了解。許可求めてみる」
「お願いします」
ペコッと頭を下げた山岡に、光村の目が向いた。
「開腹だよね?」
「はぃ。ラパロだと全麻になってしまうし…開腹で脊椎麻酔と硬膜外麻酔の併用でいきますかね。胎児のこともあるので下半身だけで」
「それがいいね」
うん、と山岡に同意しながら、光村は産婦人科医を伴って部屋を出て行った。
「へぇ~。妊婦さんでもアッペってなるんですね」
山岡と2人きりになった途端、原が物珍しそうに呟いた。
「まぁ、なくはないよね」
「やっぱり普通のとは違います?」
「まぁ、胎児を気にしないとならないし、子宮が大きくなっているわけだから、位置の特定も難しいんじゃないかな。教科書通りの場所にはないことが多い」
「へぇぇ…」
「なんならオペ入る?日下部先生がいいって言えばだけど。駄目でも見学だけでも」
そう遭遇できない症例だよ、と言う山岡に、原が大きく頷いた。
「見たいです!」
「患者さん意識あるままやるから、あまり余計な話はできないけど…」
お勉強しながらは無理かも、と言う山岡だけど、原は見るだけでも十分だと思った。
「それでも!」
「じゃぁ日下部先生に話してみましょうね」
ニコリと微笑みながら、山岡も部屋を出て行く。
「はい!」
元気よく返事をした原も、その後に続いた。
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