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第253話

そうして原が見学に入った手術も2時間半ほどで難なく終わり、山岡は病棟のロッカールームにいた。 「ふぅ。疲れた…」 バサリと術衣を脱ぎ、ロッカーからワイシャツを取り出す。 ふと山岡は、ロッカーの中に置いてあったスマホの不在着信があることに気がついた。 「ん?」 取り出して画面を見てみると、留守録が入っているようだった。 「誰だろう…」 思い当たる節がなくて、首を傾げながらも、山岡はとりあえずメッセージを聞くことにした。 「っ!」 耳に当てたスマホから聞こえてきたのは、昨日会ったばかりの千里の秘書の声だった。 「折り返し…?」 連絡を請う内容に首を傾げながら、山岡はとりあえず、着信履歴の番号にかけ直してみた。 数コールの後、すぐに相手が出る。 「あの…」 『山岡さんですか?』 「はぃ…」 『ご連絡ありがとうございます。周囲に人は?』 人、といいながら、多分日下部を警戒しているのだろうな、というくらいは察することができる山岡が、電話のこちらで小さく首を振った。 「誰もいません」 『そうですか、では。今夜、お時間ありますでしょうか』 単調な、感情を窺わせない秘書の声に、山岡は警戒しながら頷いた。 「特に予定は何もありませんが…」 不信感も露わな山岡の声に、秘書の苦笑する気配がした。 『今夜お会いしたいと申し上げるつもりなのですが、信用ならないようですね』 無理もないか、と苦笑しているらしい秘書に、山岡は見えないとわかっていながら頷いていた。 「……」 『ご無理を承知でお願いしたい』 「っ…あの、それは、また日下部さんとですか?」 昨日の今日で、また何を仕掛けてくるつもりかと、さすがの山岡にも警戒心が湧く。 その上、昨夜日下部に叩かれたお尻はまだ痛くて、了承の返事は簡単にできない。 思わず後ろに手を回して固まった山岡は、続いた秘書の言葉にキョトンとなった。 『いえ。本日は、私の独断で山岡さんにお会いしたいと考えております。その旨、社長は知りません』 「え…?」 『社長のご意向に背いているのは承知で、私は私の考えのもと、あなたと2人きりでお話ししたいのです』 真摯な声だった。けれどそれを単純に信用できるほど、山岡は秘書のことを知っているわけではなかった。 「あの…でも…」 『警戒なさるのもわかります。ですが…そうですね、私は、社長と千洋さんに、きちんと互いと向き合っていただきたいと、そう思っております』 「っ!」 『私にとって山岡さんは、邪魔ではありません。多分、敵でもないでしょう』 だからと言って味方でもない、という秘書の考えには気付かず、山岡は心が揺れるのを感じていた。 「オレ…」 『お会いしていただけますか?』 「っ…」 どうしよう、と思った時点で山岡は、すでに会う方向で思考を回していた。 (日下部先生が約束させたかったのは、千里さんに会わないってことだったから、秘書さんに会う分には構わない?けど…) そんな言い訳をしようものなら、きっとそれが知れたとき、昨日以上にお尻を腫れ上がらされることになるのは目に見えていて。 (そもそも、昨日の今日で日下部先生をまた出し抜けるとも思えない…) さすがに日下部がそう甘くはないことを分かっている山岡は、困惑したまま口を開いた。 「会いたい、と思いますが…2人きりというのはちょっと…」 約束できない、という山岡に、秘書の苦笑が聞こえた。 『無理なご相談でしょうか』 「すみません…。日下部先生にバレずに出られる気がしません」 『そうですか』 「が、頑張ってはみますが、多分無理…」 『わかりました。では最悪、千洋さんもご同伴なされても構いませんので』 日下部が厄介な人物であることくらい、長年千里と共にいる秘書には、山岡よりもずっとよく分かっていた。 「いいんですか?」 『ええ。心積もりはしておきます』 9割がた一緒に来るだろうと覚悟している様子で答える秘書に、山岡はホッと息を吐いた。 「あの…でも最悪っていうのは、その…」 『あぁ。もしかしたら、いらっしゃること自体阻止されるかもしれませんね。そのときはそのときで、また考えますのでお気になさらず』 サラリと言いながらも、秘書はどうやらその可能性はないと考えている様子だった。 「はぃ…」 『では時間と場所は…』 病院から近い完全個室のダイニング居酒屋の名を上げられた山岡は、場所を知っていることにホッとしながら頷いた。 「わかりました」 『では夜に。失礼いたします』 電話の向こうでも、しっかりとお辞儀をした秘書の様子が手に取るようにわかった。 丁寧な言葉を残し、無言になる電話のこちらで、山岡は耳から離した画面をぼんやりと眺めてしまう。 「……」 『……』 「あ…」 自分が切らなければ、相手がいつまでも待っているのだと察して、山岡は慌てて切断ボタンを押した。 「どうしよ…」 約束したはいいが、日下部対策をどうしようかと悩みながら、スマホをロッカーに戻す。 代わりに取り出した白衣をバサリと羽織り、ノータイのままバタンと扉を閉めた。 「なるようになるか」 なんとなくさすってしまったお尻の鈍痛を振り払うように顔を上げ、山岡はヒラリと白衣の裾を翻し、ロッカールームを出て行った。 向かうのは医局だ。 テクテクと廊下を歩き、医局に入った山岡は、中で日下部と原がのんびり休憩しているのを見つけた。

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