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第258話
「さぁてと」
すでに廊下の先にない山岡の姿に苦笑して、日下部もまた廊下を進み始める。
「さっさと仕事片付けて、王子様のわがままにお付き合いしますか」
気は乗らないけど、と呟きながら医局に戻った日下部は、すでに大真面目な顔をして椅子に座って書類を作っている山岡の姿を見つけて苦笑した。
隣では原が、参考資料をひっくり返したらしい、散らばった机の前で、ガリガリと何かをものすごい勢いで書き殴っているのが見えた。
「……」
散らかり放題の医局の机をげっそりと眺めて、日下部はスタスタと自分のデスクに歩いて行く。
「雪崩起こすのは勝手だけど、人の領地を侵害しないでくれる?」
隣の原の机からザザーッと文献が侵略してきているのをズーッと押し戻し、日下部が呆れた視線を原に向けた。
「あっ…ちょっ、はみ出しちゃったじゃないですか!」
押された資料に手が突っかかり、書いていた書類を失敗したらしい。
「ん?どこ?あぁ、ご愁傷様」
チラリと原の手元を覗き込み、ニコリと笑った日下部に、原の胡乱な目が向いた。
「そのにやけた顔。アンタ当直室行って、何してきたんですか、ったく…」
やけにすっきりした顔をしているのと、それまでかなり不機嫌オーラをまき散らしていたはずの日下部からそれが消え去っているのを見て、原が嫌な視線を日下部に向けた。
「またオーベンをアンタ呼ばわり?本当懲りないね~」
「アンタ呼ばわりもしたくなりますよ。仕事サボってなにしてきたんだかわかんないようなオーベン」
どこを尊敬すればいいんすか?と嫌みを返す原に、日下部の表情が楽しい玩具を見つけたように輝いた。
「ふふ、言うねぇ。なに?教えて欲しい?ナニしてきたか」
ニヤニヤと悪戯っぽく笑う日下部に、原の顔が本気で嫌そうに歪んだ。
「冗談じゃないっ!いい加減に仕事しろっ!」
これじゃぁどっちが上司かわからん!とキレた原に、日下部の笑みが深くなった。
「仕事仕事って言うけど…俺、もう全部終わってる」
ふふん、と勝ち誇ったように笑う日下部に、原の目がは?と丸くなった。
「カルテ整理もオペ記事も上がってるし、医療保険の書類はできてるし、オーダーも漏れなく出してありマス」
「……」
「あとあるとしたら、きみのそれ、書き上がってからチェックするくらいなんだけど」
早くしてくれない?と首を傾げている日下部に、原が自身の敗北に気がついて、フルフルと震え出した。
「ほんっと、性悪!」
「だから、叫んでないで、早く仕上げろ?」
ほらほら、と顎をしゃくってくる日下部に、原がワナワナと震えた。
「アンタが資料押してくるから、また書き直しですよっ!」
ふん、と反撃したつもりの原に、日下部の壮絶な流し目が向いた。
「人のデスク散らかす自分が悪いよな?ん?」
「……」
「責任転嫁、って言葉知ってる?辞書貸そうか?」
ククッと嫌みっぽく笑う日下部に、原の限界を超えた精神が悲鳴を上げた。
「それ、アンタのことだから~っ!」
ウガァッと叫んだ原を面白そうに眺めて、日下部がゆったりと勝者の笑みを浮かべた。
「ふぅ、終わった」
不意に、間近のこの大騒ぎにも構わず、仕事に励んでいた山岡が顔を上げた。
「日下部先生?オレはもう帰れそうですが」
ニコリと微笑んで、デスクの上をザッと片付けている山岡に、日下部の柔らかい笑みが向いた。
「ん。俺も帰れるよ」
1つ頷いて応じた日下部に、山岡の穏やかな視線と、原の恨みがましい視線が同時に向いた。
「じゃぁ行こうか」
「はぃ」
さっさと山岡を誘ってドアに向かってしまう日下部に、原の視線がついていった。
「あの…これのチェックは?」
「あぁ、もう待てないから明日な。ちゃんと書き上げてから帰れよ?」
ふっと嫌みに笑って、日下部はさっさと医局を出て行った。
「はぁっ?さんざん邪魔しといて…」
「あは、頑張ってください、原先生。お先に失礼します」
ペコリと頭を下げて、やけに動じない山岡もまた、医局を出て行ってしまった。
「なんなの、あの人たち…」
喧嘩のようにピリピリしていたかと思えば、滅茶苦茶ご機嫌で帰ってきて。
挙げ句人をさんざん弄んで、もう一方はそのどれもにお構いなし。
「くそバカップル」
迷惑!と叫びながらも、原は1人残された医局内で、渋々書類の作成の続きに取りかかっていた。
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