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第261話

「いたいた」 歩道の先に、踏ん張っている山岡と、それをズルズルと引きずっていく日下部の後ろ姿を見つけて、秘書は苦笑しながらそちらに足を向けた。 行き先は多分、その先にあるパーキングだろう。 車に乗られてしまったら追いつけないな、と思いながら、少し足を速めた秘書は、ふと景色の中に小さな違和感を感じた。 「っ!」 位置関係から、歩道に向くはずのないヘッドライトの灯り。 車道を走っていた車の、不自然な動き。 「危ないっ!」 反射的にバッと駆け出した秘書は、グズグズと歩道上で言い合っている様子の日下部と山岡の元に突っ込んでいった。 「なっ…?」 「うっ…」 ドンッ、と体当たりする勢いで、日下部と山岡を突き飛ばした秘書。 突然のことに吹っ飛ばされた日下部と山岡が、2人してバランスを崩し、歩道の先にズザーッとすっ転ぶ。 ドォーンッ!ガシャン!ドンッ…。 「きゃぁぁっ!」 「うわぁぁぁっ!」 「っく…」 途端に、耳をつんざくような轟音と、けたたましいいくつもの悲鳴が周囲に響き、地面に転んだまま、日下部と山岡がえ?と目を見開いた。 「な、に…?」 それは、まるでスローモーションのようだった。 地面に転ばされ、驚きと苛立ちに振り返った日下部の目の前に、車が猛スピードで突っ込んできた。 歩道にいた何人かの歩行者をなぎ倒すように、そして、日下部たちを突き飛ばして、代わりにその場所に立っていた秘書を巻き込んで。 「っ!日下部先生、大丈夫ですかっ?」 不意に、隣で同じように呆然としていたはずの山岡が、パッと起き上がり、日下部の全身に目を走らせた。 「え?あ、あぁ、うん…」 突然の出来事に、やけに現実感がない。 「日下部先生!頭打ってませんね?」 「大丈夫。ちょっと驚いただけ」 「救助行きます」 言うが早いか迷わず駆けていく山岡。 呆然となったのは一瞬で、すぐにスッと表情を引き締めた日下部も立ち上がる。 「ちょっと、あれやばくない?血がすごいよ?」 「うーわ、怖いもの見ちゃった。っていうか、救急車呼んだ方がよくない?」 「ちょっ、事故事故!大事故!写メとってアップしなきゃ!」 ざわめく人の間に割って入って、怪我人のもとへ真っ直ぐ向かう山岡の後ろ姿が見える。 「誰か、救急車呼んであげなよ」 「っていうか、警察も?」 「あれ、手遅れっぽくね?」 遠巻きに好き勝手なことを言っている野次馬の声が、日下部の元まで聞こえてきた。 「どいてっ。どいてくださいっ!」 助ける気がない見学者を追い払い、負傷者が見える位置に山岡が割って入っていく。 「通してください。医者です!どいて!」 別に、怪我人や急病人に遭遇したとき、医師だと名乗り出ないことは何の罪にもならない。 当然、助けを求められたときに拒絶をすれば医師法違反になるが、そうでなければ見ない振りをしても何の咎もないのだ。 けれども迷わずに山岡は怪我人の元に走って行った。 日下部もまたそれを見て、フッと怖いほどに真剣に顔を引き締め、人混みの中に突っ込んでいった。 「俺も医者です、通してください」 割って入っていった日下部は、そこに広がる光景に、一瞬息を飲んだ。 野次馬たちが見つめる方向では、車が歩道に完全に乗り上げ、奥の建物の前まで突っ込んでいた。 フロントガラスが粉々に割れ、あちこちがボコボコにへこんでいる。 その脇に女性が1人、男性が2人倒れているのが見えた。 車のすぐ側まで近づいた日下部は、ちょうど車のフロント部分、壁と車の間に挟まれるようになっている秘書の姿を見つけて目を見開いた。 「っ…お、い…」 はっきりと呼びかけたつもりの声が震えた。 フラリと伸ばした手が、恐る恐る、ダランと垂れた秘書の手首を掴む。 「おいっ!」 ギュッと痛いくらいの強さで手首を握った日下部に秘書の項垂れていた頭が、ノロノロと持ち上がっていった。 その目が、ぼんやりと日下部に焦点を結ぶ。 「あぁ、千洋さん…ご無事で…」 よかった、と微笑む秘書を見て、日下部の顔がクシャリと歪んだ。 「意識あり、呼吸脈拍あり、頭?脳震盪ですね。このまま動かさずに救急車を待ってください」 負傷者を診て歩いているらしい山岡の声が背後で聞こえる。 救助に手を貸してくれている通行人に、テキパキと指示を飛ばす声が頼もしい。 「骨折と開放創…誰かタオルか紐のようなもの、持ってませんかっ?」 的確に処置をしているらしい山岡の声が、日下部の耳を通ってすり抜けていった。

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