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第266話
その後、別のスタッフに詳しい説明を受け、中央手術センターの家族控え室に移動した千里と秘書の妻は、手術が終わるのを静かに待っていた。
特に入り口に扉があるわけではない控え室は、長椅子もたくさんあり、奥には広々とした土足禁の一段高くなった絨毯のエリアもある。
テレビや雑誌や漫画も置かれていて、何家族でも余裕で過ごせる広さがあった。
途中、ガラガラと廊下をストレッチャーが手術室の方へ走っていくのが見えた。
パタパタと駆けてくる足音が複数。
患者の家族のものか、悲痛な声で誰かに縋り付いている声が聞こえた。
「先生っ、緊急手術って、あのっ、この子はっ…」
「落ち着いてください、えっと、こちらへ…」
ガーッと手術室に入っていくストレッチャーから離れ、年配の男女と、比較的若い女性、そして縋り付かれた山岡が、控え室の入り口に姿を見せた。
「どうぞ」
入り口付近の椅子を示して座るよう促した山岡が、その家族たちの前に立った。
千里と秘書の妻の目が、チラリとそちらに向く。
ヘナヘナと椅子に腰を落とした年配の女性の肩を支えるように男性が座る。
その横にそっと佇んだ女性に軽く会釈をして、山岡がゆっくりと口を開いた。
「すぐに別のスタッフが詳しい説明に来ますが、診断としましては、外傷性腸管穿孔ということで、開腹手術を行います」
「ちょうかん、せんこう…?」
「はぃ。腸に穴が開いてしまっている状態、ということです」
動揺してオロオロとするばかりの女性の目を静かに見つめて、山岡がゆっくりと頷いた。
「でも、初めは大丈夫だって…」
手術室の準備が整うまでの時間か、山岡が急ぎながらもできうる限りの説明をしようとしている姿が見える。
「そうですね。最初のCTでは、腹腔内…えっと、お腹の中に、比較的多量の腹水、お水が見られましたが、明らかなフリーエアはありませんでした」
「じゃぁ…」
「ただ、ちょっと腹膜炎がないとも断定できなくて、時間をおいてからCTを再検しましたよね?それで、腹腔内にフリーエアが認められたんです」
「えっと…」
「つまりは、腸管に穴が開いてしまっているのがわかった、ということです。そうすると、腸の内容物等がですね、外に出てしまうんです」
「そうするとどうなるんですか?」
「感染を起こして腹膜炎になってしまいます。腹膜炎を起こすと、命に関わってきます。だから開いてしまっている穴をお腹を開けて縫ってこないといけないわけなんです」
「はぁ…」
「とにかくこのまま放置してしまうと、症状は悪化する一方で、意識障害や呼吸不全、ショックなど…敗血症という重篤な症状になります」
とにかく重症だ、と伝える山岡に、家族は震えながら青ざめ、必死で山岡にすがりついた。
「先生っ…」
「はぃ。ですからすぐに手術をして、穴を塞ぎます。開けてみてできなければ、穴の開いた部分を切除してつなぎ合わせます」
青ざめる女性を支えた男性が、理解をしたのかどうなのか、静かに頭を上下させた。
「よろしくお願いします」
「はぃ。全力を尽くします」
ペコリと頭を下げた山岡が、パッと踵を返した。
そのときふと、離れた椅子に座っていた千里と秘書の妻を目に止めた。
「……」
スッと軽く頭を下げただけで控え室を出て行く山岡の背中を、千里は黙って見送った。
入れ替わりに、別のスタッフがやってきて、今山岡と話していた家族の方に、書類やら何やらを見せながら、様々な説明を始めた。
その声を聞き流しながら、千里はふと、何気なく腕時計に目を落とした。
日下部が手術に入ってから、1時間が経とうとしていた。
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