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第276話
昼。
「で、朝、部長と何話してたの?」
ニコリ。とても綺麗な笑みを浮かべている日下部に詰め寄られ、山岡は知らずのうちに俯いていた。
テーブルの上に置かれたそれぞれの定食とオムライスは、まだ1口も手をつけられていない。
「外来前に俺の顔見て逃げたよね?部長と2人で、一体何を企んでいるのかな?」
ん?とあまりに整った顔に笑顔を浮かべて言いつのる日下部に、山岡は困惑して目をさまよわせた。
「企むなんて、なにも…」
「じゃぁ何?俺に言えない悪巧み?朝から2人きりでインフォルームに籠もって…堂々と浮気?」
「は?え?」
「でもあの人、既婚だと思ったけど」
ニコリ。どこまでも嘘くさい笑みを浮かべたままの日下部に、山岡の俯いていた顔も思わず上がってしまった。
「浮気とか!ありえませんっ…」
思わず大声を上げてしまった山岡に、周囲で食事をしていた職員たちの目が一瞬向いた。
「あ…いえ、そのですね…」
カァッと頬を赤くした山岡が、またもズルズルと俯いていってしまうのを見ていた日下部は、ふとすぐ側にやってきた白衣の人物に気づいて大袈裟なため息をついた。
「はぁっ、なんですか?」
「随分だね、私もご一緒していいかい?」
ケロリと内心の読めない笑みを浮かべながら、山岡と日下部がいるテーブルの横に立っていたのは、話のもう1人の当事者、光村だった。
「み、光村先生?」
「はい、こんにちは。なんだかうちの可愛い部下が、もう1人の可愛い部下に苛められているようでね」
ククッと笑いながら、さっさと手にしていたトレイをテーブルに置いている光村に、日下部の胡乱な目と、山岡の明らかに安堵した目が向けられた。
「可愛いっていうのも思い切り間違っていますけど、苛めているっていうのはさらに語弊がありますよ」
「そうかね?ん?山岡くん、どうなんだね?」
ストンと勝手に山岡の隣に座った光村に、日下部の鋭い目が向いた。
「怖い、怖い。ちょっと隣に座ったくらいで、そんなに睨まないでくれないか?」
「……」
「ちょっ、日下部先生…。あの、光村先生も、その…」
間に挟まれた山岡が1人、オロオロと慌てている。
それを見た日下部と光村が、お互い同時にフッと目を逸らしながら、それぞれの食事に手をつけ始めた。
「まったく、油断も隙もないねぇ、きみ」
「こっちの台詞ですよ。朝から山岡先生を拉致して、何の悪巧みです?」
かたや麻婆茄子定食を口に運びながら、ゆったり微笑んでいる光村と、こちらは定番のA定食を食べながらニコリと応戦している日下部。
横でビクビクしながらオムライスをどうにか口に持っていった山岡は、そんな2人の空気に当てられて今にも泣き出しそうだ。
「うぅ…」
「山岡先生が一向に白状しないんですけど」
「まぁそれはしないだろうね」
チラリと日下部に視線を向けられた山岡が、ビクリと身を竦める。
なだめるようにフワリと微笑む光村の視線に、山岡の身体からドッと力が抜けた。
「どうしてでしょう?」
「誰だって、上司に叱責されたことをそうペラペラと人には言いたくないだろう」
ケロリとうそぶく光村に、日下部の眉がギュッと寄って、山岡が思わずは?と首を傾げてしまった。
「寝不足の様子でカンファ中ずっとぼんやりしていればね、上司としては注意と説教くらいするだろう?」
なぁ?と山岡を見つめる光村に、山岡はハッとしながら、ぎこちなく頷いた。
「ふーん。わざわざインフォルームに連れ込んで、叱っただけだと?」
「まぁね。だって人前じゃ可哀想じゃないか」
「よく言いますよ。それくらいのことなら、廊下でだって構わないはずです」
「あまり出来る男というのも面白くないよ」
どうせ2人とも話題が嘘だとわかりきっているのに、言い合いを止めない2人に、山岡が困惑してオロオロしている。
日下部と光村は、互いに引かない様子を見せ、ジッと牽制し合っている。
嫌な沈黙が数秒続き、先に諦めたのは、日下部の方だった。
「はぁっ。仕方がないので、そういうことにしておきます」
「ふふ、助かるよ」
「山岡先生が困っているものを、これ以上困らせたくありませんから」
「そっちかね。少しは遠慮しなさいよ」
カミングアウト後、見事に堂々としている日下部に苦笑しながら、光村が嬉しそうに目を細めた。
「大事にしているんだね」
「当然でしょう?」
「山岡くんもね、きっと同じだよ」
「え…?」
「時期が来たら、きみからきちんと促しなさい」
ポン、と山岡の肩を軽く叩いていった光村は、いつの間にか空になっていた食器を持って立ち上がった。
「早…」
「昔から時間に追われていた癖でね、早食いが身についてしまった」
クスクス笑っている光村に、山岡はいろいろな意味を込めてペコリと頭を下げた。
「2人とも、午後のカンファは遅刻ギリギリに来るんじゃないよ」
じゃぁね、と手を振ってさっさと立ち去っていく光村を見送り、山岡と日下部が顔を見合わせる。
「まったく、相変わらず食えない人だね」
「そう、ですね…。あの、日下部先生…」
「ん?あぁ、部長にああ言ったからには、もう追求はしないよ」
申し訳なさそうに俯く山岡にニコリと微笑んで、日下部は残りの食事をパクパクと口に運び始めた。
「すみません…」
「いいって。部長やおまえが、むやみやたらに俺に隠し事をするわけがないって。大丈夫。おまえと部長のことくらい信じてるから」
「日下部先生…」
「それより、早く食べろよ」
遅刻できないぞ、と笑う日下部に感謝しながら、山岡はすっかり冷めてしまったオムライスを慌てて口に運んだ。
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