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第282話

「案内を頼めるか?」 「えぇ、いいですよ」 「千洋は…その、手術は、まだかかるのかね?」 「そうですね…後1時間は戻らないかと」 チラリと腕の時計に目を向けてから、山岡がゆったりと微笑んだ。 「そうか」 こくりと頷いて、千里がゆっくりとドアに向かう。 机の上に広げた資料を整理して、パソコンを操作して電子カルテを閉じた山岡も、静かに椅子から立ち上がった。 「どうしたものかな」 ふと、ドアノブに手を掛けたまま、千里が後ろを振り返らずに呟いた。 「日下部さん?」 「千洋には…私が、言うべきなのかな」 小さく俯いた後ろ姿があまりに頼りなくて、山岡はその背を見つめたまま、そっと息を吐いた。 「ご希望なら、医師として、ご家族への説明をいたしますが」 「……」 「個人的に、オレから日下部先生にお話しすることは、ありません」 「…そうだな」 ふぅ、と深いため息をついた千里の背に、山岡はゆっくりと近づいた。 「大丈夫ですよ」 「え…?」 「日下部先生は、きっと心を痛めてくれます」 「っ!きみは…」 「日下部さん」 「なんだ」 「何故あなたは、千洋に帝王学を学ばせなかったのですか?」 振り返らない背に向かって、山岡は単調な声で疑問を投げかけていた。 「どうして帝王教育をせずに、医学部に進むことを許したのですか?」 「っ…それは…」 「オレに答えを聞かせなくていいですよ。その答えは、千洋に直接伝えてください。きっと同じ答えが…千洋が何故あなたのオペをできないかという答えとして、返ってくると思いますから」 そっと千里を追い抜いて、ノブから離させた手の隙間から自分がノブを取って、山岡は静かにドアを開けた。 「どうぞ。病棟にご案内します」 開いたドアを押さえて、廊下に出るように千里を促す。 「山岡くん」 「はぃ」 「きみは、千洋を…」 「はぃ」 愛しています。堂々と、自信たっぷりに微笑む山岡を眩しそうに見つめて、千里はゆっくりと診察室を出て行った。 そうしてゆっくりと、山岡の後を追って、病棟へと足を進めていった。

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