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第284話

「ふぅ…」 医局を出た日下部は、ふと小さなため息をひとつ漏らしていた。 「まぁったく、大分隠し事が上手くなっちゃって」 気に入らない、と吐き捨てながら、日下部はテクテクと病棟の廊下を歩いていた。 (あの人、山岡と連れだって、わざわざ山岡に案内させて病棟に来たとか…ただの見舞いじゃないのバレバレなのに) 実は、手術後にやってきたナースステーションですでに仕入れていた情報を思い出しながら、日下部は1人苦笑していた。 (病棟に来る前に、一体どこで何をしていたやら) 再びため息を漏らしながら、日下部は何もない振りをしていた山岡の様子を思い浮かべていた。 「ま、口止めされてるってことは、あの話だよな…」 簡単なパズルだ、と鼻を鳴らしながら、日下部はちょうどたどり着いた秘書の病室のドアを軽くノックした。 「失礼します」 「はい…?」 スラッとドアを開けて室内に入った日下部を、ベッドに寝たまま秘書が出迎えた。 「あ、千洋さん…じゃなくて、日下部先生?」 クスクス笑いながら、けれども身体を起こそうとはしない秘書に、その消耗の度合いが知れる。 「どっちでもいいですよ、呼び名なんて。それより、調子は?」 「えぇ、悪くはないです」 「よくもない、と。相変わらず気を使わないね」 正直すぎる状態を口にする秘書に、日下部は苦笑しながら、ズルズルと見舞客用の椅子を引っ張ってきた。 「私はあなた方と違って素直ですので」 ふふ、と笑う秘書に、日下部がとても嫌そうに顔を歪めた。 「誰と誰の複数形だよ」 ハッと笑いながら、勝手に椅子に腰を下ろした日下部が、ゆったりと腕と足を組んだ。 「ま、悪くないなら、話くらいできるよな?」 「社長がいらしていたことに関する件でしたら、何も話しませんよ」 フイッと日下部から視線を逸らして天井を見つめた秘書に、日下部の表情がクシャリと歪んだ。 「そういう先制攻撃はズルくないか?」 「今更あなたにフェアに接しても仕方がありませんので」 ふふ、とうそぶく秘書に、日下部はフゥッと長いため息を1つ漏らした。 「本人も、おまえも、山岡さえも…多分、光村先生まで知ってるのに…」 「……」 「せめて病名くらい」 拗ねた子どものようにムッとしている日下部に、薄く目を細めた秘書が、そのままゆったりと微笑んだ。 「そう思うのでしたら、ご本人に直接お尋ねになればよろしいのでは?」 1番出来ないだろうとわかっていて、敢えてそんなことを口にする秘書に、日下部は一瞬憎しみすら感じた。 「出来たらしてる。それに…光村先生と山岡がコソコソしているところを見ると、うちに相談持ち込んだんだろ」 「……」 「どうせ、俺に極秘で、とかなんとか。だから…俺にバレたとなったら、病院や部長や山岡の信用問題とか言い出されたらたまらない」 隙を見せることになる、と皮肉げに笑う日下部に、秘書は静かに瞬きをした。 「事故の夜、何故私があなた方と共にいたのか、社長は尋ねて来ないんです」 ふと、天井を見つめたまま脈絡なく言い出した秘書に、日下部の視線がスイッと向いた。 「それが?」 「何だと思っているんでしょうね。社長を通してしか繋がりのない面子で、社長に内緒で会ってしていた話ですよ?」 ふふ、と微笑む秘書の言いたいことは、賢い日下部には簡単に理解できた。 「あの人は、俺にバレていると気づいてて…?」 「まぁ、十中八九気づいているでしょうね。でも、気づかないふりをしている。いえ、本当に気づいていないと思い込んでいる、というほうが正しいでしょうかね」 ニコリと笑う秘書が何を企んでいるのかまでは、さすがに日下部にも読み取れなかった。 「それを俺に聞かせて、何がしたい」 「さぁ?」 「おまえの思惑通りに動くのはしゃくに障る」 「ふふ」 「あの人の今週の日曜の予定は?」 ふん、と秘書から目を逸らして、ふて腐れたように言う日下部に、秘書の優しい目が向いた。 「申し訳ありませんが、今は存じません」 「じゃぁ誰があの人のスケジュール管理をしている」 「秘書室の人間がサポートしてはおりますが、多分、今は社長自身が」 少し困ったように微笑む秘書に、日下部がジロリと視線を戻した。 「おまえに代わる秘書はいないのか?」 「まぁ…育てていかねば、とは思っておりますが、社長のプライベートなスケジュールまで把握できるとなると…」 「おまえしかいないと。不便だな。早く治して復帰しろよ」 使えない、と吐き捨てながらも、それが日下部の見舞いの言葉だと、長い付き合いの秘書にはきちんとわかっていた。 「仕方ない、自分で聞くか」 スッと椅子から立ち上がりながら呟いた日下部は、そのまま秘書に背を向ける。 「お大事に」 振り返らずにポツリと告げた日下部の手が、ドアの取っ手にかかる。 「千洋さん」 「…なんだ」 「社長をよろしくお願いします」 「……」 背後から飛んできた声に、やはり振り返ることすらせずに、日下部はクシャッと顔を歪めて、そのまま黙って病室を出て行った。

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