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第285話
医局で、パソコンを開いていた山岡は、ふと1通の受信メールに気づいて、その画面を開いた。
差出人は部長の光村。シークレットの記号がついているそのメールの内容に、恐る恐る目を通す。
(っ、転院希望、か…)
昨日の今日で、すでに決断と行動をしたというのか。
やけに早すぎる展開に驚きつつも、山岡はなんとなくこうなることの予感はしていた。
「それにしてもVIPってすごいなぁ…」
「え?山岡先生、なんです?」
思っていたことを、思わず口にしていたのか。
自分のデスクで何かを書いていた原が、驚いたように顔を上げ、山岡を見ていた。
「え?あ、ごめん、独り言。なんでもない…」
ヘラリと笑い、恥ずかしそうに誤魔化した山岡に、原がそうですか?とあっさり納得している。
そのまますぐにまたデスクに目を落としてしまったところを見ると、またも日下部に午前中いっぱいかかりそうな、大量の仕事を押しつけられてでもいるのか。
しかめっ面でサラサラとペンを動かしている姿が山岡から見える。
(日下部先生が外来でよかった)
まだ、このメールの内容を日下部に知られるわけにはいかない。
メールの文面には、まだ、日下部には内密に、という1文が入っていた。
ついでを言うなら、転院希望の意志と、すでに前院からの手配済みということ、こちらの病院の検査予約がすでに月曜に取ってあることなど、完全に割り込みだろうVIP待遇の内容だった。
「了解っと」
光村に簡潔に返信メールを出し、山岡は椅子の上でウーンと大きくのびをした。
「急変なし、急患なし。暇だな…」
フゥッと息をついてくつろぐ山岡の呟きを、ふと原が聞き咎めた。
「何その羨ましすぎる発言…」
ジトーッと目を据わらせて顔を上げた原に、山岡がハッと手を下ろして、仰け反っていた身体も起こす。
「あ、えっと…ごめん」
「あ、いえ、すみません、つい」
「仕事、大変?」
コテンと首を傾げて、キィと椅子を回した山岡が、原の方に身体を向けた。
「いえ、あの、新しく担当患者さんを持たせてもらったんですけど…その、オペをどうやるか考えてて…」
煮詰まっている、と苦笑する原の手元を、山岡がヒョイッと覗き込んだ。
「なんだ。てっきりまた、日下部先生に面倒くさい書類仕事押しつけられているのかと思ってました」
ニコリと笑う山岡に、原の苦笑が向いた。
「自分の男捕まえて、山岡先生もなかなか言いますよね」
ププ、と笑っている原に、山岡の顔がパッと赤くなり、その後ムッと唇をとがらせた。
「だって日頃の行いが」
「まぁ、どSのクソオーベンですけど…とか言っていると、本当に仕事押しつけられかねないんで、これオフレコで」
「あはは。うん、言わないけど。で、どんな症例なの?」
ん~?と首を傾げながら、原の側まで椅子に乗ったまま転がしてきた山岡が、デスクに広げられている資料を眺めた。
「あ、この論文…」
「え?」
「懐かしい」
ふと、原のデスクに開かれていた参考論文を見た山岡が薄く目を細めた。
「懐かしい?え?もしかしてこれって」
「あ、はぃ。名前は出てないと思いますけどね、これ切ったの、オレなんですよ」
そうそう、と笑いながら、原のデスクから本を持ち上げた山岡に、原の目が見開かれた。
「え…山岡先生、大学病院にお勤めだったんですか?」
「あ、えっと、まぁ、昔ね」
「すごい!論文オペって。えー、すごい」
キラキラと目を輝かせている原を不思議そうに眺めながら、山岡は文献を原に返した。
「何がすごいのかよくわからないんだけど…この術式使うの?」
「え、すごいですよ。まぁ、おれはとっくに、山岡先生の腕がいいのは知っていますけど~」
「あはは。何を言っているんだか、もう」
「だって、論文用のオペなんて、失敗は許されないでしょう?成功率を上げなくちゃならないし、オペは新式だし、症例集めに何例も切るんですよね?よっぽどな腕じゃないと切れないでしょう?」
すごいなぁ、と感心している原に、山岡は曖昧に微笑んだ。
「失敗が許されないのは、論文が絡んでも絡まなくても同じだよ」
「あ、や、まぁそうなんですけど~」
「うん。そんなことより、このオペ方式で行くんなら、よければシミュレーション付き合おうか?」
「えっ?マジっすか!そうですよね。これ、山岡先生は熟知してるってことですもんね!」
神様ぁ~!と文献をドサッとデスクに置いて、両手で拝んでくる原に、山岡は苦笑を浮かべる。
「そんな風に崇められても…」
「いえっ、神様です。どうか、ぜひっ、色々と教えてくださいっ」
「うん。まぁ、最終的には、オーベンの日下部先生の判断になるけどね」
にこりと微笑む山岡に、原がちぎれるかというほどの勢いで、ブンブンと首を縦に振っていた。
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