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第286話

「ふぅ。今日も外来は大盛況だったな、っと。山岡先生?原?」 ふと、昼近く、外来が終わったらしい日下部が、医局に入ってきた。 山岡と原は、医局の奥で、シミュレーションの道具やパソコンを弄ってなにやらごそごそやっている。 「山岡先生、原先生?2人で何して…」 のんびりと、山岡たちの方に足を進めた日下部に、山岡がふと入り口の方を振り返った。 「あ、日下部先生。お疲れ様です」 「うん」 にこりと笑って軽く頭を下げる山岡に、日下部がにこやかに手を上げる。 「山岡先生、お昼…と思ったけど、何してるの?原先生がなにか迷惑…」 「え?いいえ、ちょっと原先生のオペのシミュレーションに付き合っていて…」 「シミュレーション?あぁ、今度担当を任せた患者のオペ…?」 でもなんで山岡に、と目で語っている日下部に、原の目がキラキラと輝いた。 「そうなんです。聞いてくださいよ、日下部先生。なんと、おれがこの方式で行こうかなと考えていたこのオペ…」 ドーンと論文を日下部に突き付けた原が、何故か得意げに胸を張った。 「切ったの、山岡先生だったんです!」 どうだ、すごいだろう、と自分の手柄でもないくせに、ものすごいドヤ顔で言い切る原に、山岡と日下部が同時にが苦笑した。 「きみね…。でも、へぇ?そっか、山岡先生が」 ふぅ~ん、と、原から論文を受け取って、中身を流し見た日下部が、薄く目を細めて小さく頷いた。 「なるほどね。それで、山岡先生にアドバイスを…」 「はぃ」 「ん~、でもそれ…」 パサッ、と近くのデスクに論文を置いた日下部が、山岡が指導していた原の手元を見て、思い切り目を眇めた。 「あ…」 「えへ」 少し困ったように口を開けた山岡と、原の可愛くもないヘラッとした笑みが日下部に向く。 シラッと白けた目をした日下部が、そんな2人を交互に見て、最後にゆっくりと口を開いた。 「大量の外科結びって…」 「えぇっと、その、これは…」 「やっぱり気になった?」 「あの、その、う、はぃ…シミュレーションで手技を見ていたら、ど、どうしても…」 オロオロと、途端に困ったように目をさまよわせる山岡に、今度は日下部のドヤ顔が炸裂した。 「ほら、原。やっぱり同じことを指摘されるだろう?きみは細かい作業が雑なんだよ、雑。だ~から散々、腐るほど外科結びの練習はさせたけど」 「う、や、やってますよ!いつも!暇さえあれば!」 「クスクス、山岡先生の目には、まだまだ適わなかったということだ」 「っ…」 ぐっ、と唇を噛み締めて黙り込む原に、山岡が慌ててワタワタと手を振った。 「ち、違いますよ?決して原先生が悪いってわけじゃなくてですね、ほら、まだまだ技術が未熟なのは当たり前で」 「うんうん」 「でもただ、この練習は、いくらやっても無駄じゃないっていうか…」 「そうそう」 「目標時間内に、素早く正確にって思うと…」 「な~?」 山岡の言葉に、いちいち相槌を打って、ニヤニヤと頷いている日下部に、原の目がジトッと半眼になっていった。 「なんか、山岡先生にご指摘いただくのは納得っていうか、いいんですけど、日下部先生のそれ、腹が立つっていうか、なんていうか」 その態度、と頬を膨らませる原に、日下部が面白い玩具を見つけた子供のように目を輝かせた。 「ん~?なに?山岡先生に言われるのはよくって、俺は駄目?差別だな」 「いや、だってそうでしょっ?山岡先生は本当に患者さんのことを思って、おれの技術を高めようとしてくれてる感じがするっていうか、その」 「ふぅん?」 「でも日下部先生は、おれのことからかいたいとか苛めたいとかいう感じが…」 むぅっ、と反論に出た原に、日下部の目がますます楽しそうに細められた。 「じゃぁなにか。俺は患者のことは二の次で、きみの技術の未熟さを苛めの口実にしたいだけの、意地悪なオーベンだとでも言っているのか、そうか」 キラリと目を光らせる日下部に、ようやくここまで来て原がハッと自分の失言に気づき、隣で山岡が、あちゃー、と額を手で押さえていた。 「じゃぁその認識に恥じないように…今日は外科結びの練習1万か…」 「いやいやいやいや、無理ですっ!すみませんでしたっ!日下部先生のご指導、いつもありがたく受け取っていますっ」 手が死ぬ、オペ前に腱鞘炎で壊れる、と喚いている原が、ガバッと土下座の勢いで頭を下げた。 「クスクス、本当、面白いよね、きみって」 「はぁぁぁっ?おれは別にっ、日下部先生を楽しませようとなんて」 「クスッ、まぁいいけど。このクランケ、このオペ方式で行くなら、流れをちゃんと掴んで、カンファで発表できる準備をしておけよ」 「え?あ、は、はいっ」 「俺もこの方式が妥当だな〜。うん。カンファでの説明はきみがすることになるからな。まぁ頑張れ」 ぽん、と原の肩を軽く叩き、「山岡先生、お昼行こう?」と、日下部はさっさと山岡を誘って身を翻す。 「あ、はぃ。あ、あの原先生、またなにかわからないこととかあったら、遠慮なく声を掛けてくださいね」 「クスクス、甘やかさなくていいのに」 「はぃ、でも、直接の指導医は日下部先生ですけど、オレもなにか力になれることがあればしたいと思うので」 にこりと微笑みながら、山岡もタタッと日下部を追って、医局を後にした。

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