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第291話

「あぁ、取り乱してしまって、失礼したわ」 ふと、思う存分泣きじゃくったのだろう日下部の母が、スッと背筋を伸ばして気を取り直した。 泣き腫らした目が赤く充血していても、この女性はとても美しい。 「それで?あなた。まだ私に隠していることが、あるのではなくって?」 チラリ、と隣に座る千里に向いた母の目に、千里の身体がギクリと強張った。 「隠していること?」 なんだ、それは、と空惚ける日下部の父に、母の追及の手がさらに伸びる。 「この私が、気づかないとでもお思い?あなたは先ほど、泰佳さんを、山岡『先生』と呼んだわ」 「っ、それが、なんだ。そこの山岡くんは、千洋の同僚の医師だからな」 何の不思議もない、と言い返す父にも、母は怯まなかった。 「どこがお悪いの?」 「な…。おまえ、なにを」 「私に隠し事ができると思うのが、甘いのですよ。あなたにとって、この泰佳さんは、『先生』なのでしょう?今さらくん付けに呼びなおしても遅いのよ。あなたの、主治医か何かなのね?」 お見通しよ、と笑う母に、山岡と日下部の父が同時に顔を見合わせた。 「あ…」 この日下部の母、その見た目や最初の印象とは違って、随分と強かで凛々しく、とても聡明な人のようだ。 「日下部先生の、お母様…」 なんだか納得だ、と呟いている山岡に、日下部がクスクスと笑って、そっと小声で囁いた。 「強かな人だろう?」 「はぃ…」 日下部は、父に似ている、と思っていたけれど、この母の観察眼の鋭さや頭の回転の速さ、じわじわと相手を追い詰める言い回しなどは、日下部にそっくりだ。 「さすがは、センリの頭の奥さんを務めるだけはあるんですね」 「そうだね。この人が、見た目通りのおっとりとしたお嬢様じゃないのは、当然だね。センリのトップの妻の座についているのは伊達じゃない」 「お母さんにすごい言いようなんですけど…」 「そう?だってほら、あの父が、タジタジだよ?…ねぇ?いい加減、白状するときなんじゃないの?」 にこりと微笑む日下部の目は、日下部の父から、ゆっくりと山岡に向き戻ってきた。 「おまえもね」 つい、と顎を指先で捉えられ、山岡の身体がギクリと強張る。 「あ、あ、あぁ…」 ふらりと視線を泳がせた山岡と、こちらを困ったように見ていた千里の目がパチリと合った。 「ふっ、この母子(おやこ)に掛かったら、もう隠し通せるものじゃないかな…」 はは、と乾いた笑いを漏らした日下部の父に、母と日下部の目がスッと真剣なものに変わった。

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