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第292話
「っ、日下部さんっ…」
心配そうに声を上げた山岡に、日下部の父は落ち着いた表情でゆっくりと頷いた。
「大丈夫だよ、ありがとう。これは、私が自分から話す」
覚悟を決めたように、静かに瞬きをする日下部の父を見て、山岡はそっと身体から力を抜いた。
「泰佳?」
「千洋…。落ち着いて、聞いてあげてくださいね」
ふわりと微笑む山岡に、日下部がゴクリと唾を飲む。
テーブルの下でそっと重ねられた手をきゅっと握り締めて、日下部は黙って静かに頷いた。
「癌なんだ」
不意に、あまりにあっさりと、千里がその単語を口にした。
「え…?」
「は?」
唖然と固まる日下部の母と、日下部の丸くなった目がパチパチと瞬く。
「食道がん。ステージⅡということだそうだ」
「っな…」
ぎゅっと握られた日下部の手が、山岡の手の中でぶるりと震えたのが分かった。
「や、ま、おか…」
「はぃ」
ふらりと泳いだ日下部の目が、頼りなさそうに隣の山岡に向けられる。
「お、まえ、は、知って…」
「はぃ」
静かに頷いた山岡に、日下部の眉がぎゅぅと寄った。
「資料も、写真も検査データも見ている?」
「はぃ」
隠すことなく頷いた山岡に、日下部がパッと父の方を見た。
「っ、どこ、まで…。あなたの病状は、どこまで…」
ギリッと奥歯を軋ませて、日下部が挑むように父を見つめる。
その視線を受け止めて、日下部の父が、ふぅと1つ息をついた。
「山岡先生」
「よろしいのですか?」
オレの口から説明しても、と山岡は問う。
「構いません。お願いします」
「っ、はぃ…」
2人の会話に、ぐっと息を詰めた日下部が、そっと山岡に視線を戻した。
「T1bN2。食道癌のⅡ期です。粘膜下層を超え、食道付近のリンパ節への転移が認められました。遠隔転移はないだろうと、オレは見ましたが…」
「っ、切れるかっ…?」
「オレならば」
「っ~~!」
ぎゅぅぅっ、と痛いほどに強く、山岡の手を握り締めてきた日下部に、山岡はふんわりと嬉しそうに微笑んだ。
「日下部さん」
「山岡先生…」
「日下部さん、これが、答えです」
ほら、と、痛いほどに握り締められた震える手を持ち上げて、山岡はほんのりと首を傾げた。
「山岡先生…」
「あなたは、何故千洋に、医学部へ行くことを許したのですか?」
「あ、あぁぁ」
「千洋は、あなたのオペは出来ません」
きっぱりと言い切った山岡に、日下部と日下部の父の目が、同時に互いを見つめた。
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