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第297話
それから、外来に病棟勤務にと、山岡と日下部が、それぞれ午前中の仕事に精を出して、昼。
外来の終わった山岡が、のんびりと医局に戻ってきた。
「おかえり。早かったな」
急変、急患もなく、のんびりと検査データを眺めていた日下部が、医局の入り口を振り返った。
「ただいまです。今日はかなり空いていたので」
「そっか」
「日下部先生は?」
「俺?俺も、今日は暇だったよ。あぁ、あいつと話はしてきたけどね」
あいつ、と日下部が言うのは、秘書のことだろう。
病棟に入院中の秘書の姿を思い浮かべて、山岡はにこりと微笑んだ。
「そうですか」
「うん。なんか、全部あいつの思い通りに事が運んでいるみたいで面白くないんだけどな」
「あはは、そうですか?」
「うん、ただ、あいつが、本当は誰より、あの人のことを大切に思ってるんだろうなってことは、ものすごく分かったっていうか…」
「そうですか」
「うん。あいつは多分、俺たち親子にとって、なくてはならない人間、なんだろうなぁ」
クスクスと笑う日下部に、山岡がほんのりと微笑みながら、小さく頷いた。
「ようやく、痛みも和らいで、回復傾向に向かってる」
「はぃ」
「あいつが完治したら、礼に食事でも奢ってやるか」
「そうですね」
なにせ2人の命の恩人だ。
その行動力も含めるのなら、日下部の父の命を救う手助けにもなっている。
「きっと、性悪だから、無駄に高い高級料理を要求してくるぞ」
「またそんな」
「まぁ、あいつよりは高給取りか」
クスクスと悪戯に笑う日下部に、山岡が苦笑したところに、ちょうどヘロヘロと原が入ってきた。
「お、お疲れ様でーす…」
医局に来るや否や、グターッとデスクに突っ伏すその姿を、日下部がにやりと楽し気に見つめる。
「相変わらず弛んでいるねぇ?一晩、代打で夜勤したからって、本所属のこちらでその態度、どうなの?」
クスッと笑う日下部の目が、獲物を見つけたハンターのように嬉々として輝いている。
「代打で夜勤?」
キョトン、と目を丸くした山岡に、日下部がにやにやしたまま頷いた。
「そう。なんか、同期のバイト先で、欠員が出たらしくて、どうしても一晩、代理で夜勤に出てくれって頼まれたんだって」
「へぇ?」
「そんなに大きな病院でもないし、楽勝だろうとでも思ったらしいよ」
「ら、楽勝って…」
「それが蓋を開けたら?」
にこりと、どこまでも楽しそうに原に視線を流した日下部に、その空気を察したのか、原がガバッと頭を起こして、キッと日下部を睨みつけた。
「そーですよ。舐めて掛かったら、とんでもなかったんです。本当、どこのERかと思うほど…患者がひっきりなしに運ばれてきて」
「クスクス、すごかったらしいね」
「事故に自殺未遂?薬物の誤飲に、急性アルコール中毒…」
あれも、これも、と指折り数えて唸った原に、日下部がそれはそれは綺麗に微笑んだ。
「で、オロオロして、ただの役立たずだったとか?」
「はぁ?そんなわけないでしょうが。おれが、普段誰にしごかれてると思っているんです?」
「クスクス、俺だね」
にこりと微笑む日下部は確信犯だ。
「そうですよ。アンタみたいな鬼オーベンにくっついているお陰でね、処置も診断も縫合も?研修医のレベルじゃないって、褒められましたけどっ?」
それがなにか?とツーンと言い捨てる原に、日下部がますます面白い玩具を見つけたように微笑んだ。
「それは喧嘩を売っているんだか、一応遠回しにいいオーベンを持って幸せだと褒めているのか」
「アンタ」は聞き捨てならないけどね?と目を細める日下部に、原がハッとして大声を上げた。
「こ、後者ですっ!」
この疲労困憊状態で、さらに課題だ残業だを押し付けられてはたまらないというのが見え見えだ。
それを、面白可笑しく眺めながら、日下部がゆっくりと椅子から立ち上がった。
「ま、いい経験をしたんじゃない?」
「っ、そ、それはまぁ、はい」
「クスクス。よかったな。さてと、じゃぁ山岡先生、お昼行こうか」
「あ、はぃ」
長々と話してしまったが、すでに12時は回っている。
連れだって医局を出ていく先輩医師2人の背中を見送りながら、原が1人、少しでも仮眠、と再びデスクに突っ伏していった。
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