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第299話

私服に着替えて下に降りてきた山岡と日下部は、職員出入口につく前に、谷野に出会っていた。 「あ、谷野先生」 「おっ?山岡センセと、ち…日下部センセ」 ヘラッと笑う谷野の笑顔が、やっぱり以前の明るいものとはかなり違う。 「っ、とら、それなんだけどな…」 わざわざ「ちぃ」と言いかけては、「日下部先生」と言い直す谷野に、日下部が困った顔をする。 そのまま気まずそうに話を続けようとしたところに、がやがやと仕事終わりらしい帰宅組の看護師が何人か歩いてきた。 「あ、日下部先生、山岡先生、と、谷野先生も、お疲れ様でーす」 「お疲れ様です」 ペコリと頭を下げて、立ち止まっている日下部たちの横を看護師たちが通り過ぎていく。 「あぁ、お疲れ様。気を付けて」 反射的ににこりと微笑みを浮かべ、労いの言葉を返す日下部に、キャァッと看護師たちの甲高い悲鳴が上がった。 「はぁっ、相変わらずやな…」 ぽつりと落ちた谷野の声は、山岡だけに聞こえて、山岡が苦笑する。 「あの、谷野先生…」 「せやな。こんなところで立ち話もあれやし。飲みに行くんやろ?」 「はぃ。ただオレ、あんまりお店とか知らなくて…」 行き先が決まっていないという山岡を、看護師たちを見送った日下部が振り返った。 「個室で落ち着く飲み屋を知っているから、そこでいいか?」 「あ、はぃ。谷野先生も…」 「どこでもええで」 「じゃぁそこで」 「帰り際に日下部先生に会えるなんてラッキー」だとか、「山岡先生と同伴帰宅、らぶらぶぅ」だとか、わいわい、キャァキャァ言いながら帰っていく看護師たちに続いて、3人は連れだって…というよりは、微妙に変な間隔を開けながら、出入口へ歩いて行った。           * 「ん、いい店やな」 「うん。俺は好き」 料理店に入って、個室席に腰を落ち着けた日下部と谷野が、ぽつり、ぽつりとぎこちない会話を始めている。 「初めて来ました」 「そうだな。まだおまえを連れてきたことはなかったな」 外食もそれなりにしている日下部と山岡だが、ダントツに自宅で日下部の手料理が多い2人だ。 山岡が物珍しそうに店内を見回しているのを見て、日下部がふわりと優しい笑顔を浮かべた。 「ははん。なんや、そういうことかいな」 「え…?」 「そっか。なんや、アレやコレやの大問題は、片が付いたんか」 山岡に向かっては、ふわりと優しい空気を醸し出す日下部に気づき、谷野がフッと柔らかく目を細めた。 「っ…それなんだけど、とら」 谷野の様子に、ぐっと腹に力を入れた日下部が、ジッと谷野を見据えた。 「なんやの?ゆっとくけど、俺様何様のちぃ様が、おれに頭なんて下げんといてな」 ハッ、と鼻を鳴らして吐き捨てる谷野は、日下部たちの様子から、今日の話の内容を察してしまったようだった。 「なっ…」 聡い谷野に先手を打たれ、日下部がぐっと言葉に詰まる。 「いらんねん。気持ち悪いねん。ちぃが謝罪なんて。似合わんねん…」 ふっと自嘲的に笑う谷野に、日下部の顔がぎゅぅと苦しそうに歪んだ。 「だけどとら…」 「ええねん。おれはな、ちぃが好きやねん。大好きやねん。だからそのちぃから何をされようが何を言われようが、おれはいっこも傷つかんねん。構わんねん」 鮮やかににっこりと笑って見せる谷野に、日下部の目がふらりと揺れて、ストンとその顔が伏せられた。 「ちぃが幸せでいてくれるんやったらそれでええ。その過程でおれに何をしたか、何を言ったかなんて、おれはもう忘れたわ。せやからちぃも忘れぇ。忘れて、いつもみたいに傲慢に笑ってたらええ」 「っ、く、俺は…」 「それがちぃ様やねん」 な?と唇の端を持ち上げる谷野に、日下部の苦しそうな呻き声が聞こえた。

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