301 / 426

第301話

「よっしゃ。ゆうたかんな?」 「あ、あぁ」 「せやし、もうこの話は終いや。ほな、料理と酒、選ぼうや」 ほれ、とメニューを開いて突き出す谷野に、日下部が微妙な表情を浮かべながらも頷いた。 「山岡センセも」 「は、はぃ…」 しゅん、と俯きながら、山岡が谷野を窺う。 「もう、なんやの。いつまでも暗い顔しとんなや」 「だけど…」 「ええねん。ええんや。それよりほら、この酒、めっちゃうまそうやない?頼んでもええ?」 あっけらかんと笑って、メニューに載っている酒の説明を読みながら指さす谷野に、日下部がスゥッと深く息を吸い込んだ。 「とら」 「なんやの」 「それより俺はこっちの酒がいいな」 ニコッと唐突に笑みを浮かべて、谷野が選んだものとは別の酒の名前を指さす日下部に、谷野の顔が呆気に取られた後、ぎゅぅっと眉が寄せられた。 「はぁっ?こんの我儘大王が。おれはこっちがえぇっちゅ~ねん」 「え~、それ辛口じゃない」 「せやからうまそうやろ?」 「山岡はまろやかなのがいいもんな?」 「はぁっ?今日はおれへの詫び飲み会じゃないん?なんで山岡センセの好み優先なん」 ムゥッ、と文句を垂れる谷野に、日下部の嘘くさい綺麗な笑みが炸裂した。 「365日、24時間。1分1秒どんなときも、俺の最優先は山岡だから」 「カァッ、この色ボケちぃめが」 「悔しかったらとらも最愛の恋人を見つけたら?」 クスクスと悪戯に笑う日下部に、谷野の胡乱な目が向いた。 「へぇへぇ、そうさせてもらいまっせ。向こうに行ってめっちゃイイ女捕まえたるからな」 「ふぅん?でも山岡以上の人、そうそういないと思うけどね」 「どさくさに紛れてノロけんなや、うっとおしい」 ケッ、と、谷野と日下部の言い合いが勃発する。 その自然な様子にホッとしながら、ようやく山岡も顔を上げて、ニコリと微笑んだ。 「オレは、谷野先生が選んだお酒でいいですよ?」 「山岡、とらなんかに遠慮しなくていいんだぞ」 「いえ、してません…。それと、日下部先生」 「なに?」 「オレのこと、想ってくれるのはとても嬉しいんですけど、患者さんが目の前にいたら、オレよりそちらを優先してくださいね?」 24時間、1分1秒、必ず、と微笑む山岡に、日下部があっけにとられて、谷野がカァッとおやじくさい叫び声を上げた。 「マジメかっ!」 スパンッと小気味よい谷野の突っ込みが決まる。 「まぁ、それはそうなんだけどな」 さっきのは、もののたとえというか、気持ちの上ではそれくらいという意味だとか、モゴモゴしている日下部を、谷野が面白そうに見つめる。 「ちぃが困っとる」 「うるさいよ」 「でも、ええなぁ」 ほんのりと、目を緩やかに細めて、谷野が笑った。 「ん?」 「そんな山岡センセの純粋で真っ直ぐなところもめっちゃ好きって顔に書いとるわ」 「とら?」 突然何を、と目を瞠る日下部に、谷野がますます穏やかに目を細めた。 「最初の印象は、暗そうな、地味な医者」 「っ、た、にの先生…?」 「次には意外と綺麗な顔しとる、頼りなく見えて実は芯が強い人」 「っ、とら?」 「漆黒。何もかもを飲み込みつくして佇む、強く気高く、誰より広く優しい男」 「っ…」 穏やかな顔をして、けれども大真面目に紡がれる谷野の言葉を、日下部と山岡がいつの間にか息を詰めて聞いていた。 「羨ましいねん。そんな、支えて、支えられて、包み込んで、包み込まれて。強い絆で結ばれた2人の関係性」 「っ…とら」 「せやし、おれは、山岡センセを信じてよかった」 ふわぁぁっ、と谷野の顔に波紋のように広がっていくのは、この上ない極上の微笑み。 「ちぃを救えるのはやっぱり山岡センセだけやった。ありがとう」 「っ、い、え、オレは、なにも…」 「おっちゃんに打ち勝つことができた、山岡センセを、選んだちぃを、尊敬する」 「っ、だから、とら…」 にぃっ、と口角を上げて胸を逸らす谷野が、それはそれは偉そうに、そして傲慢に、日下部と山岡を見下ろした。

ともだちにシェアしよう!