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第303話

「で、ちょっと山岡。真っ直ぐ歩けって…」 「ん~?抱っこぉ」 にこぉっ、と笑って、日下部に手を伸ばす山岡は、へにゃへにゃと完全に酔っ払っている。 「はぁっ、ったく、抱っこだな?」 「んーん、おんぶぅ」 ピトッと日下部に引っ付く山岡に、日下部が頭を抱えて目を閉じた。 「はぁぁっ、こんな甘え方を覚えやがって。おまえ、俺をどうしたいの」 ピンッと軽くデコピンをしてきた日下部に、山岡の眉がへにゃりと下がった。 「痛いぃ、ちひろの意地悪」 ぷくぅ、と頬を膨らませ、グリグリと頭を日下部の胸に押し付けて喚く山岡に、日下部がクラクラと目眩を起こしていた。 「はぁっ、ったく、どうにかタクシーに乗せて、ここまで帰ってきたはいいものの…」 飲み過ぎだ。と愚痴る日下部は、谷野と店の前で別れ、決して軽くはない成人男性の山岡を、店からタクシーへ、そして自宅マンション、さらに今はその部屋の前まで、どうにか連れ帰ったところだ。 「とにかく後少しだ。ほら、リビングまで!なっ?ソファーまで、頑張れ」 ガチャンと玄関の鍵を開けて、ぐったりともたれ掛かってくる山岡を、引きずるように室内へ連れていく。 「うん。ねぇ、ちひろ?」 「なんだ。ほら、靴脱いで」 「うん。オレね、今日はちひろが一緒だからだよ?」 「え?」 へにゃっ、と無邪気に笑う山岡は、以前に日下部と交わした「俺以外の人の前で潰れるの禁止」という約束をちゃんと守っていると訴える。 「あぁ、おまえがこんなに飲んだことか」 「ん…」 コクン、と頭を上下させる山岡の視線が、不意にふらりと彷徨って、ストンと床に落とされた。 「山岡?」 「ちひろ」 「どうした?っ、しょっと、とりあえず座れ」 どうにかリビングのソファーまで山岡を連れてきた日下部が、そこに山岡を座らせる。 「んっ。…ちひろ」 「ん?」 「っ、う、ひっく、ぇっ、オレ…」 「は?え?どうした?」 ストンと大人しくソファーに座った山岡が、不意に瞳を潤ませて泣き出した。 「っ、うぅっ、ぁっ、オレ、オレね…」 「泰佳?」 「さみしっ…さみしぃ。ごめんなさい、ちひろ」 ふぇぇぇ、と嗚咽を漏らして泣き出した山岡をそっと覗き込んで、日下部が「ん?」と首を傾げた。 「た、にの、せんせい…」 ひくっ、としゃくり上げて別の男の名前を呼びながら泣く山岡に、日下部の目がわずかに嫉妬を揺らす。 「とら?」 「はぃ。遠くに、行っちゃうって…」 うぇっ、と泣く山岡を、日下部がそっと抱き寄せた。 「会えない距離じゃないよ」 「わかってます…」 「いつでも、会いに行けばいい」 「そうですけど…」 えっ、えっ、と泣き声を上げる山岡に、さすがに日下部が苦笑を浮かべた。 「おまえが今日、こんなに飲み過ぎたのは、それが原因か」 はっ、と笑う日下部は、山岡への理解と谷野への嫉妬の間でゆらゆらと揺れている。 「っ、は、じめて…親友だなんて、言われた、んです…」 「そうか」 「谷野先生は、初めから…オレをオレとして接してくれて、オレの顔を見た後も、まったく態度を変えなかった…」 「うん」 「オレの容姿を気にしないで、オレの中身だけをちゃんと見てくれて、いっぱい色々と協力してくれて、あんなに真っ直ぐに、かけがえのない友人だって言ってくれた…」 それがどんなに山岡にとって嬉しいことなのかは、過去を、その全てを知る日下部には、容易に想像がついた。 「そっか。うん」 「そんな、せっかく仲良くなれた人が、遠くの病院に行ってしまうなんて…」 「うん。そんなに寂しい?」 「はぃ…」 「こんなに泣くほど?」 「はぃ、つらいです」 ポロポロと溢れる山岡の涙を、スッと指で掬った日下部が、この話の流れにそぐわない、にぃっこりと綺麗な、満面の笑みを浮かべた。 「埋めてやる」 「えっ?あの、日下部先生?」 ビクッと反射的に身を強張らせた山岡が、突然の微笑みを浮かべた日下部を恐々と窺う。 「とらが離れていく寂しさなんか、俺が埋めて、忘れさせてやる」 「っ、あの、日下部先生っ…」 「何?」 にこりと、どうあっても崩れない完璧な笑顔に気圧されて、山岡がぐっと言葉に詰まった。 「クスクス、大丈夫だよ。たっぷり、たぁーっぷりと、クタクタになって、思考の1つも残らないくらい、全力で可愛がって、愛して、俺で満たしてやるからな」 完全に弧を描いた日下部の目元に、山岡がようやく自分が何を言い、何をしたのかを自覚した。 (っ、嫉妬…?オレが、千洋の前で、谷野先生、谷野先生ってばかり言って、谷野先生を気にし過ぎたから…?) サァァッと酔いが覚めていったときにはもう遅く。ゆらりと抱き上げられた身体が、寝室へ向かう。 「待っ…千洋っ…」 慌ててもがいた山岡だけど、酒が回った身体は、まだまだ酔いの中にあって。 大した抵抗も出来ずに、綺麗で妖しい笑みを浮かべた日下部に、寝室の内側へ連れて行かれてしまった。

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