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第322話
翌日、朝から出勤した山岡は、日下部が結局昨日、泊まり込みになったことを聞かされた。
「お疲れ様です」
医局のソファで寛いでいた日下部を見止め、ペコリと頭を下げる。
「うん。山岡先生は、おはよう」
「おはようございます。昨日、大変でした?」
仕事量としては、日下部が泊まり込むほどのものではなかったはずだ。ゆるりと首を傾げた山岡に、日下部の苦笑が返った。
「あ~、まぁ、原先生が当直なのを忘れていてね」
「原先生?」
「うん。そして、俺が居残っている時間に、またも急患が運び込まれてきてね」
しかも2人。と笑って指を2本立てた日下部に、山岡の眉がぎゅっと寄った。
「事故ですか?」
「そう、事故」
「うわぁ…」
ははっと笑う日下部の答えに、それだけで事態を察した山岡が、本当お疲れ様ですと言わんばかりに顔を崩した。
「研修医1人に手に負えるわけがないからな。たまたま居合わせてしまった指導医の運の尽きってわけ」
「あは」
「ま、明け方まで掛かるほどじゃなかったけど、大分遅くはなってしまったし。帰るのが面倒になっちゃった」
「ですね」
「1人にしてごめんな。ちゃんと夕食も朝食も食べた?」
にこりと尋ねる日下部に、山岡の身体はピシリと硬直した。
「え~と、はぃ」
「ふ~ん、コンビニ弁当に、朝は栄養補助食品?」
「っ…」
「図星か。おまえね…」
作り置きがあっただろう?と呆れる日下部に、山岡の顔がシュシュシュと俯いていった。
「まったく。俺が見ていないと、すぐそうやって食に手を抜く」
「う、それは…」
「これは久々にあれか?」
お仕置きが必要か?と笑う日下部に、山岡の顔がガバッと上がった。
「嫌ですっ。だって、食べなかったわけじゃありませんからっ。い、一応は食べましたっ」
「一応ね」
「そこは…」
「クスクス。仕方ない。見逃してやるよ。その代わり」
「っ…」
「昼、食堂行くぞ」
「はぃ」
「見張るからな」
にやりと人の悪い笑みを浮かべた日下部に、山岡は大人しくコクリと頷くしかなかった。
「さ~てと。それじゃぁ、仕事、仕事」
ひょいっとソファから立ち上がり、椅子に掛けられていた白衣を取りに行く日下部を見て、山岡も身なりを整える。
「山岡、外来だっけ?」
「はぃ」
「午後はカンファだな」
「はぃ」
「原が仮眠室にいると思うから、行きがてら声を掛けてやってくれない?」
起きて来ないんだけど、と笑う日下部に、ギクリとする。
「山岡?」
「え?あ、はぃ…」
分かりました、と小声になる山岡に、不思議そうに首を傾げながら、日下部が名札をひょいと胸元につけた。
「俺はちょっと、上に顔出してくる」
「はぃ…」
父親な、と笑って医局を出て行く日下部を、山岡はぽつんと見送った。
「はぁっ」と零れる溜息を落としながら、気が重い原の元へ向かおうと足を踏み出したとき。
「オハヨーゴザイマス」
日下部とは入れ違いになったのか。のそりとした動きで、微妙に寝癖のついた頭の原が、ペコリと頭を下げながら医局に入ってきた。
「あ、おはようございます」
咄嗟に挨拶を返した山岡を、チラリと見ただけで、のそのそと自分のデスクに向かってしまう。
無言のまま、目も合わせようとしない原をビクビクと窺って、結局掛ける言葉も見つからないまま、山岡はスススーッと医局の出入り口に向かった。
「えと、外来行ってきまぁす…」
ぼそりと気まずげに呟いて、山岡はそそくさと医局を出て、病棟を後にした。
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