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第325話

(は~ぁ。だけど、あぁは言ったものの、これは…) 思わず、盛大な溜息も漏れてしまう現在。 あれから、里見が落ち着くのを待って、里見と分かれ、急いで向かった食堂に、日下部の姿はなかった。 そうだろうなと思いながら、仕方なく売店でおにぎりを1,2個買って、医局に中庭、休憩室に診察室と、思いつく限りの場所を探してみたけれど、とうとう昼休みの間中に日下部を見つけることは出来なかった。 そうして午後一番。1時きっかりから始められるカンファの時間になってようやく、日下部の姿を捉えることが出来た。 しかしそれは、すでにカンファに臨む席の中で、しかもいつもなら隣に座る日下部が、今日は2つも間に席を空けて座っていた。 原にいたってはそのさらに向こう。山岡から見たら4つ隣に、あからさまに山岡を避けるように座っていた。 (はぁ。この空気) どうにも疑うしかない場面を見られたことは分かっている。そのせいで、2人の纏う空気が、山岡を拒絶していることも。 ピリピリとした空気の中、居心地の悪さは最高潮だ。 けれど、それでも今はそんな私情に流されているわけにもいかなかった。 (切り替えないと。あの件は後だ。後で、必ず) スッと一度目を閉じて、深呼吸をゆっくり1つ。 そうして次にはゆっくりとその目を開いて行き、手元の大事な資料を映していった。        * 予想通り、それなりに荒れたカンファは、山岡の提案、治療方針に納得させる形で終結した。 最後まで渋い顔をしていた光村も、最終的には山岡の経験と腕を見込んで頷いた。 どうにか満場一致の賛同を得られた山岡は、ホッと一息つく間もなく、カンファ終了早々席を立ち、さっさと部屋を出て行ってしまった日下部を、慌てて追いかける羽目になっていた。 「ちょっ、待っ、日下部せんせっ…」 バタバタと手元の資料をかき集め、取り落としそうなそれを何度も持ち直しながら、白衣の裾をヒラヒラさせて廊下を走る。 途中、するりと解けてしまった前髪を、結わえ直す余裕もなくそのままに、久しぶりにばっさりと目を覆う髪を、うっとうしそうに振り払いながらパタパタと足音を響かせていた。 「日下部せん……っとぁっ!」 ふと、廊下の交差地点に差し掛かった日下部が、そのまま直進していくのを追っていた山岡は、駆け足もそのままに、その交差地点に飛び出した。 そこにちょうどたまたま歩いてきていた患者と、派手な衝突事故を起こしそうになる。 マズイ!と焦った顔の山岡が、かろうじての反射神経でキキーッと急ブレーキを掛け、間一髪、ぶつかるのだけは避けられた。 けれども患者の方は驚いて引きずっていた点滴スタンドに縋りついてへたり込む寸前だし、山岡は山岡で、持っていた資料を見事に床にぶちまけてしまっている。 「っ~~!す、すみませんっ、申し訳ありませんっ、ごめんなさいっ…」 ガバッと頭を大袈裟に下げた山岡の、白衣の裾がヒラリと揺れる。 「あ、あぁ、いえ。驚いたぁ…」 危なかった、と頬を引き攣らせる患者に、山岡がさらにグッと深く腰を折った。 「本当に申し訳ありません。失礼します」 深々と再度の謝罪を繰り返した山岡は、さっと頭を上げて、患者の様子を手早く窺った。 心拍が早いくらいで、怪我やその他の不調、点滴がずれたり抜けたりしてしまっている様子はない。 それを素早く確認して、山岡は最後にもう一度、深々と頭を下げた。 「2度とこのようなことはないようにします。本当に申し訳ありませんでした」 「あ、はい、もういいですよ?大丈夫ですから」 あまりに身を縮こまらせて何度も謝罪する山岡を見兼ねてか、患者が苦笑しながら手を振る。 そのままゆっくりとした動きでその場を去っていく患者を、山岡は頭を下げたまま見送った。 そこに。 「おまえね…」 はぁっと盛大な溜息が聞こえてきたかと思ったら、スッとしゃがみこむ白衣の人影が見えた。 「え?あ、日下部先生…」 ふらりと顔を上げた山岡の目の前で、日下部が床にぶちまけられた山岡の書類を、1枚1枚、その綺麗な指で拾い集めていく。 今の騒ぎで踵を返して戻ってきてくれたのか。山岡の足元で書類を拾い集める日下部を見て、山岡は慌てて自分もしゃがみこんだ。 「すみませんっ」 ワタワタと焦りながら、散らばした書類を集める。 トントンと書類の端を揃え、日下部が拾ってくれた分を受け取りながら、最後の1枚をペラリと受け取って、山岡はするりと立ち上がった。 ほぼ同時に日下部も膝を伸ばす。 「すみません、ありがとうございました」 集めた書類を抱えながら頭を下げた山岡を、日下部が静かに見下ろしていた。 「あ、の…」 無言の日下部に恐れをなして、ソロソロと顔を上げた山岡は、ジッと自分を見つめる日下部の目に、ギクリと身を強張らせた。 「はぁっ。言いたいことは色々あるんだけど。とりあえず、説教な」 ついてこい、と言わんばかりに、ふっと踵を返した日下部が、スタスタと廊下を先に行ってしまう。 「あ、う、はぃ…」 (怒ってる~!…っていうより、呆れてる…) 日下部の態度に、しゅんと項垂れてしまいながら、山岡はぐっと書類を胸に抱き込んで、今度は周囲にちゃんと気を配りながら、日下部の後をパタパタと追いかけた。

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