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第329話

「えーと、それで?」 とりあえず、山岡に連れて来られたという体の日下部が、俺はどうしたら?と首を傾げて、山岡と里見を順に見た。 向かい合わせに席に着いた里見と山岡の視線が絡み、どちらからともなく「うん」と頷き合う。 それを面白くなさそうに見つめた日下部の隣で、山岡がくるりと日下部に向き直った。 「あの、とりあえず、今日はお付き合いいただいてありがとうございます。その、昼間の件での話を、したいと思って…」 「うん」 「えっと、彼女は里見玲来先生。うちの病院の薬剤師さんです」 「初めまして。医師の日下部です」 山岡の紹介の声に、日下部がにこりと里見に微笑みかけた。 「初めましてっ、里見玲来です。あの、昼間は、本当に、ありえない場面をお見せしてしまって…。山岡先生からお聞き及びかもしれないんですけど、その、私からも、ちゃんとお話ししなくちゃと思いまして、今日はここに」 完璧な美貌の日下部の、完璧な笑みを真正面から受けた里見が、あわあわしながらも、まくし立てるように言葉を紡いだ。 ペコーッとテーブルに頭をぶつけそうな勢いで下げる里見に、日下部が微笑を苦笑に変えながらゆるりと首を振った。 「顔、上げて下さい?それから、山岡からはまだ何も」 「へっ?え?あ、そうでしたか。それじゃぁ…」 どうしよう?と上げた顔を山岡に向ける里見に、山岡がこくりと1つ頷いた。 「はぃ。あの、えっと、とりあえず、オレと里見先生は、ただの友人と言いますか、その、相談を受けているだけの関係と言いますか…」 「うん」 「日下部先生に疚しい仲ではないってことを、ちゃんと分かってもらおうと思って」 説明させてください、と切り出す山岡に、日下部がコクリと頷いた。 「うん」 「それで、その、昼間のあの場面のことですけれど…」 そこで一旦言葉を切り、チラリと里見を窺う山岡に、里見がゆっくりと首を上下させた。 「はい。あれは、私が…私が、厄介な、病気で」 するりと病の名を口にした里見の声が、その時だけ一瞬小さく震えて掠れた。 「っ…それは」 里見の言葉を聞いた日下部が、さすがにヒュッと息を呑む。 なにかがあるだろうとは思っていた。けれど予想を遥かに上回る告白に、思考が一瞬固まってしまった。 「……」 口の中で確かめるように、同じ病名を繰り返した日下部は医者だ。 里見が告白した病の名が、現代医療では根治の方法が見つかっていない、難病に指定されているものだと知っている。 「はい。あの、驚かせてしまってすみません。ただ、それで。その、まだ院内の誰にも言っていなくて…だから、院内や病院の近くではちょっと…。だからわざわざ今日はこんなところまでお呼びしてしまって、申し訳ありません」 ぺこりと頭を下げる里見に、日下部はユルユルと首を振った。 「あのっ、それで、今日の昼間は、たまたま、あの時エレベータホールで一緒になって。話しをしている時に、里見先生の手から力が抜けちゃって…」 「なるほど、それでおまえがその手を咄嗟に取ったところに、俺が出てきた、と」 「はぃ…」 里見の言葉の後を引き継いで、昼間の出来事の真相をようやく語った山岡に、日下部が納得半分、呆れ半分で頷いた。 「そのタイミング」 「はぃ。すみませんでした」 「で、すぐに俺に言い訳しなかったのは、そんな重病を、本人の同意なしに話していいものかどうか、迷ったせいで、ってことね」 「はぃ」 ご明察です、と眉を下げる山岡に、日下部が「分からないわけないだろ」と苦笑している。 「まぁそんなことだろうとは思ったけど、疑問が3つ」 ふと、真面目な顔をした日下部が、スッと指を3本立てて、山岡と里見を順に見た。 「1つ目は、どうして山岡先生だったの?」 「え…?」 「他の誰にも言っていない、って言っていたよね?それが、なんで山岡先生にだけは話したの?」 「あ、それは…」 「知っていると思うけど、こいつ、消化器外科医だよ?」 里見が明かした病の名では、まったくフィールド違いもいいところだ。純粋な疑問を浮かべる日下部に、里見が「ですよね」と頷いて、ゆっくりと口を開いた。 「山岡先生に病気のことを話したのは、半分は不可抗力で、半分は、私のエゴ、かな…」 「不可抗力とエゴ…」 「はい。えっと、初めて山岡先生に会ったのは、本当に、たまたま、偶然なんです」 「衝突事故か」 「あ、お話ししてあるんですね。はい。その時にすでに、山岡先生は私の手足の違和感に気づいていたみたいですけど…」 「ふむ」 「その後、またたまたま院内でお会いして。そのときに、私のこれに、確信を得て気づいちゃったんです、山岡先生」 「なるほど?」 里見の口から語られるこれまでの経緯を、日下部は小さな相槌を挟みながら静かに聞いた。 「それで、受診を勧めていただいて」 「そう…」 「そのときにはもう、私も、私の身体がただ事じゃないって分かっていて…だから、怖くて。本当に、申し訳ないとは思ったんですけど…山岡先生に…つい、縋ってしまったんです」 「そう」 「私は、私の私情に山岡先生を巻き込んで、頼ってしまいました」 すみません、と告げる里見に、日下部はゆるりと首を振り、「そっか」と小さく呟いた。 「こいつは、病人を目の前にして、例え自分の領域外で、なんの有効な治療手段を提案できないとしても、ほんのわずかでも、何か、自分が力になれることがあるのだとしたら、迷わずそれを遂行する、そんな医者だからなぁ」 「はい。本当に、最高の良医です」 「だから、あなたに選ばれてしまった」 ん?と笑う日下部に、里見の顔がくしゃりと歪んだ。 「っ…ごめんなさい。恋人さんがいるのに、私のこんな我儘、よくない事は分かっていたのに…っ」 「ん…」 「本当に、すみませんでした。恋人がいらっしゃる先生に、誤解を生じさせるようなことをしてしまったこと。本当に申し訳ありませんでした」 「うん。だけどそれは、こいつが病人に対してはとても真摯で、病に対してとても真剣であるが故なんだよね」 恋人の俺そっちのけだよ?と冗談めかして笑う日下部に、里見が深く、深く頭を下げた。

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