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第333話
それから数日後。
結局、山岡と日下部の提案に納得した患者が、あっさりと転院を決めてきて、入院準備が整った。
「ふぁ~。今度入院してきた患者さん、あれって、例の?なんか、すっげぇ可愛くなかったですかっ?」
パタンと医局のデスクに突っ伏しながら、原が呑気な声を上げるのに、日下部が呆れ返った目を向けた。
「きみ、ね。舌の根も乾かぬうちに、なんなの。里見先生はどうなったの」
人を浮気だなんだと責める前に、自分が浮気性じゃないのかと疑いたくなる発言に、日下部が派手な溜息を漏らしていた。
「あ~、それがですね、玲来さん、ここ数日ずっと休暇らしくて」
「へぇ?」
「会いたくても会えないんですもん~っ」
うがぁ、と髪を掻きまわす原に、日下部のシラッとした目が向いた。
「クスクス、実は避けられていたりして」
「はぁっ?そんなことないですよ!俺、あれからちゃんとアタックして、存在を認識してもらったんですからね!玲来さんのシフトだって、ちゃんと本人から教えてもらったんです」
「へぇ?知らないうちに、なんだか進展してるじゃない」
「へへん。おれも、やるときゃやりますよ」
何の自慢か、偉そうに胸を張っている原が可笑しい。
「あ〜、でも新患さんも超可愛かったな〜」
うっとりと、あらぬ方向を見て呟く原を、日下部が気味悪そうに見る。
「きみ、患者さんに手を出すなよ?」
「っ、しませんよっ!しませんけど…ぜひぜひ元気に治って欲しいなぁって」
「ま、それは医者の誰もが思うことだ」
可愛い可愛くない抜きにしてな、と笑う日下部に、原はボケっとしたままどこか遠いところを見ていた。
そんな呑気な空気を、不意に割り裂く、騒めく気配が伝わってきたのは、午前中も終盤に差し掛かり、今日は2人して病棟待機組だった日下部と原が各々の書類仕事に勤しんでいた時だった。
「ん?なんか外、うるさくない?」
ふと、見ていた書類から顔を上げた日下部が、コキコキと首を回しながら原を振り返った。
「あ~、なんか、ざわざわしてますね。何かあったんですかね」
「急変か?」
それにしてはPHSが鳴らない、と首を傾げる日下部が、うーんと伸びをして椅子から立ち上がった。
「ちょっと見てくるか」
「あっ、サボリですか?ずるい、おれも行きます」
ガバッと立ち上がった原が、慌てて日下部の後を追う。
「サボリって…きみね。仕事はキリがいいし、休憩がてら。外の様子、気になるでしょ?」
「おれも。おれも。仕事は目処がつきましたし、外が気になります!」
休憩!と言って聞かない原に苦笑して、日下部が医局を出て廊下を進み始めたそのときだった。
パタパタと足音を立てて、山岡が廊下の向こうから駆けてきた。
「あっ、日下部先生」
「ん?山岡先生?どうした?」
また走って…と苦い顔をした日下部に、ハッとしながらペコリと謝って、けれども早足のまま歩みを緩める気配がない山岡がズンズンと近づいてくる。
「おい?」
「っ、急いですみません、だけどそれどころじゃ…」
「なに。どうした?急患?」
慌てた顔の山岡に、緊急時なら大目に見るか、と諦めを滲ませた日下部の顔が、スゥッと鋭いものになる。
「いぇ…」
「は?じゃぁ何をそんなに慌てて…まさか、彼女?」
急患でなければ、今山岡の心を乱すのは、里見に何かがあったのだろうか。
こてりと首を傾げる日下部に、山岡はそれでもないと首を振った。
「えっと?」
「日下部さんです」
「は…?」
「日下部さんなんですっ」
どうしよう、と顔を歪めて間近まで来た山岡に、日下部の顔から血の気が引いた。
「あの人が…?」
まさか急変?と青褪めて、唇を震わせた日下部の腕を、山岡がぐいと掴む。
「とにかくっ、すぐに、来てください!」
こっち、と白衣の腕を引く山岡に、日下部の足がふらりと進む。
「や、ま、おか…俺…」
無理、となんとも情けない表情を浮かべる日下部に、山岡が、ぐいぐいと引いていた日下部の手を、ハッとしてパッと手放した。
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