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第337話

そうして、すっかり周りがうるさく、山岡の気が休まる暇がないまま、何日かが過ぎていく。 日下部千里の周囲はそれでも、会見後にわずかな落ち着きを見せ、病院前で張り込むというメディア関係者の数は、無事に激減した。 それでも諦めの悪い数社なのかなんなのか知らないが、隙あらば消化器外科のスタッフに、また息子の日下部に、出入りする秘書にと、突撃してくる輩が残っているのが鬱陶しい。 毎朝駆けこむように職員出入口をくぐる山岡。ひっそり目立たぬように帰宅する日下部。 千里の入院加療がバレて揺らいだのは、なにも社員や関連会社、騒めく経済界だけではなかった。 「まさかここまでうちの平穏も脅かされるとは…」 面倒なことこの上ない患者なんだけど。追い出す?と、半ば据わった目で本気を滲ませて言う日下部が、騒がしい周囲にほとほとうんざりしていた。 「あはは。それは出来ませんよ。ようやく、手術日も迫ってきたところなんですから」 何故か数値が改善し、切る算段とそれによる勝算がついていた。 日に日に緊張感を高めていく山岡が、そのオペにどれほどの精神を傾け、心を砕いているのかを、間近で見ている日下部はよく知っていた。 「成功、するといいな」 「はぃ。特別扱いはするつもりじゃないんですけれど…日下部先生のお父さんを、絶対に救いたいです」 「うん」 かつて山岡は、義父(ちち)と呼ぶべき人を、なす術もなく失っている。 日下部の父はと、気合が入るのも仕方のないことだろう。 「今のオレには、それができる技術と知識、そしてそれを叶える場があるから」 絶対に救うんだ。強い意志を光らせて言い切る山岡に、日下部の目が優しく細められた。 「任せたよ」 「はぃ」 「あぁでもあの人のオペと言えば」 「あ、谷野先生ですか?」 「うん。どうしても、このオペがいいって、喚いていたな」 「はぃ。叔父だし、他人よりは見学の許可取りやすいんとちゃう?って。期間内に間に合えばって話だったけど、残念でしたね」 「だな。結局、見せてやったのは、なんの変哲もない、LATGだったしな」 「えぇ。腹腔鏡下胃全摘。あまり面白みはなかったでしょうね」 「でも結局、ブーブー言いながらも納得したからいいんじゃない?またいつでも戻ってくるからな、とかなんとか言いながら向こうに発っていったし?本当にそのうちまたひょっこり戻ってくるかもしれない」 あの従兄弟は色々とあてにならないんだ、と笑う日下部と、谷野が関西に帰っていくのを見送ったのは、つい先日のことだ。 「でもとら、今こっちにいなくてよかったよ」 「え?」 「だってこの騒ぎ。俺が息子だっていうだけで付け狙われていることもあるし、甥だって知れたら、あいつの周りもうるさくなったかもしれないだろ?」 「なるほど。ありえますね。どこからか調べてしまうようですし、そんな関係性の人間が、同じ病院に医師としていたら、ちょっとうるさいかもです」 「だろ?情報を取れれば、どこからだっていいんだもんなぁ。本当、さっさと切って、さっさと治して、さっさと放り出してやりたい」 鬱陶しくて敵わない、と空を仰ぐ日下部に、山岡がふわりと笑った。 「全力でそうしましょう」 それが追い出すというそのままの意味ではなくて、日下部なりの願いだと山岡はきちんと察する。 「それにしても、例のオペ。そっちの方が、見学甲斐といえば、あるだろうなぁ」 「同時移植です?」 「うん。で、それ、どこだかの移植外科から見学者が来るって、聞いてる?」 「へ?え…?」 初耳、と固まる山岡に、日下部がやっぱりね、なんて悪戯に微笑んでいる。 「ま、そのうち光村先生から言われると思うよ」 「本当ですか…」 「本当。ま、その前にあの人のオペとか、ドナーが出るかどうかとかあるから、山岡には折を見て話すつもりなんだろうね。言っちゃったけど」 「はぁ」 「クスクス。嫌?」 「あ、いぇ別に。見られること自体は、大学病院にいたときも結構経験していますし、気にもなりませんけど」 「そ」 真っ直ぐに患者の命だけを見つめる山岡だ。ギャラリーの存在など、正直どうでもいいのだろう。 「でも俺としては、これ以上魅せるオペをして欲しくはないんだけどね」 「見せるオペ?まぁ、大学病院でもないし、そうあることでもないでしょう?」 「クスクス、そういうとこ。おまえだね」 「え?」 字が違う、と笑う日下部に、何のことやら分からない山岡がキョトンとするのを、日下部が可笑しそうに見つめた。 「さ~てと。それじゃぁちょっと、オペ間近らしいあの人の様子でも診に行ってきますか」 ん~っ、と伸びをして、日下部が椅子に掛けていた白衣をバサリと羽織り、医局を出て行った。

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