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第344話

ざわり、と騒めく一報がもたらされたのは、その時だった。 がちゃりと医局のドアを開け、室内に山岡をエスコートしたところで、バタバタと廊下を駆けてくる足音が聞こえた。 「チッ、おまえの次は、今度は原か」 だから院内を走るな、と苛立たしげな顔をそちらに向けた日下部は、その原の表情が、尋常じゃないことに気が付いて言葉を止めた。 「原?」 「ふぇ、日下部先生~っ」 ダダダッと、山岡の比じゃないスピードで駆けてきた原が、その勢いのままドカンと日下部に飛びついた。 「はっ?ちょっ、きみ…っ」 さすがに成人男性、しかも駆けてきた勢いのまま飛びつかれればどうなるか。 勢いを殺せずにそのままフラリと足を引いた日下部が、押さえていたドアに凭れながら医局の中に2歩、3歩と下がっていく。 「っ、と…クソッ、ぐ…」 どうにか踏みとどまろうと踏ん張った足は、脆くも崩れ去り、原を胸に抱き止めたまま、日下部は尻餅をつく形で医局の床にドサリと転んだ。 その後ろでパタリと医局のドアが閉じる。 「っ、ちょっ…2人とも、大丈夫ですか?」 慌てて駆け寄る山岡に、日下部は視線だけで「なんとか」と答え、原はそんなことには目もくれずに、ぐいぐいと日下部の胸に顔を押し付けていた。 「もう、なんなんだ。おい、原」 「うぁぁぁんっ」 「だからっ、どうした!」 ぐいっとどうにか胸元から顔を上げさせて、その顔を日下部が覗き込む。 見れば原の服装はまだ術衣のまま、オペ終わりに先にオペ室前から去っていったはずなのに、着替えもしていなければ、日下部たちより後の医局ご到着とはどういう了見か。 「ふっ、ぇ…お、れは…」 「なに。もしかして、オペ中の例の件か?」 途中やらかしてたよな、と唇の端を軽く持ち上げる日下部に、原はフルフルと首を振った。 「ち、がう、んです。違う…」 ぼそりと呟く原の手が、ぎゅぅっと日下部の白衣を握り締めた。 「原?」 どうにも様子がおかしい。不審に思った日下部が、そっと意地悪な笑みをその顔から消して、ふわりと原の指先を撫で上げた。 「っ、日下部先生っ」 「はっ?」 ボロッとおもむろに涙を零した原に、日下部がギョッとして手を引いている。 「玲来さん。玲来さんがっ…」 うぇぇぇ、と遠慮もなく泣きじゃくり始めた原に、日下部の眉がぐしゃりと寄った。 「里見先生?が、どうかしたの」 そういえば午前中、使いに出したまま、その処理状況を聞いていなかった。 あのまま昼だ、オペ準備だ、オペだとバタバタしてしまったから、多分原も後回しでいいと思っていたんだろう。 「午前中、薬剤部に行かせた件?それで何かあったの?」 なにかやらかして振られでもしたか?と苦笑を浮かべる日下部に、原はまたもブンブンと首を振った。 「ちがっ…そじゃ、ない…玲来さん…。玲来さんっ、朝っ、きゅっ、きゅ、はんそ…意識不明の重体…っで、って」 「え?」 「おれっ…午前ちゅ、薬剤部行ったとき、会えなくて…っ、出勤、まだって…っ」 「うん」 「お使いの…っ、やつ、他の薬剤師さんに、渡しておいてくれるっていうから、預けてっ…」 「うん」 「さっきっ、オペ、終わって…っ、そういえばって、思い出して…っ」 「うん」 「確認ついでに…玲来さんに、会えたら…って、オペ室出た後、あのまま、薬剤部に寄り道したらっ…」 うわぁぁっ、と泣きじゃくる原は、つまりはそんなところで油を売っていたわけか。 「まったく…」と呆れながらも、日下部は聞き流すにはあまりに物騒な単語が、原の口からいくつか零れていたのを聞き咎めた。 「意識不明の重体で搬送されたって?一体何故…」 疑問に首を傾げた日下部に、原は泣きじゃくりながらブンブンと首を振った。 「っ、わかんなっ…だけど、ただっ、朝、他の病院に運ばれ…っ」 「うん」 「目、覚まさないって…っ。日下部先生っ、日下部先生っ、どうしよう。玲来さんがっ、玲来さんが…っ、死ん、じゃ…かも、しれっ…あぁぁぁっ」 完全に取り乱して、泣きわめくだけの原からの情報は、あまりに不確定要素が多すぎた。 「参った。さっぱり話にならない」 「ですね…」 2人のやり取りを横で見ていた山岡も、コテリと首を傾げている。 「とりあえず、里見さんに、何かが起きたらしいけれど…」 「そうですね…。あの、オレ、ちょっと薬剤部に行って、詳しく聞いてきます」 顔を強張らせ、心配に瞳を揺らした山岡が、パッと踵を返す。 「うん、頼む」 ひらりと身を翻す山岡を見送って、日下部はとりあえず、しがみついてきて離れない原を引きずって立たせ、ソファの方へ歩いて行った。

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