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第349話
翌日も、その翌日も、原は出勤して来なかった。
「まぁ、無断欠勤じゃないのがマシだけど。連絡してきたときのあの涙声は、あいつまだ泣いてんのか…」
はぁっ、と軽く溜息を吐く日下部に、山岡がへにゃりと苦笑した。
「体調不良ですって?」
「頭痛だそうだけど。あれだ。泣きすぎ」
まったく、サボリ同然、と苦笑する日下部だけれど、それを本気で咎めるつもりは、どうやらないようだった。
「午後には復活してくる…と思いたい」
「半休ですって?」
「本人はそのつもりでいるらしいよ。今日の午前休までいただきます、って連絡してきたからね」
「そうですか…。辛い気持ちは、分かりますけど、ね」
「うん。だけどそんなの、俺だって、山岡だって同じだろう?もっと言えば薬剤部の人間だってさ。それでもみんな、気持ちの整理つけて前に進まなきゃならないんだから」
「はぃ…。原先生にも、早く立ち直ってもらいたいですね」
「あぁ」
そう願うよ、と笑う日下部の、PHSが不意に鳴った。
「っ?急患か」
パッと表情を引き締め、PHSに手を伸ばす日下部が、ちらりと山岡に視線を寄越す。
「……?」
オレのは鳴りませんけど?と首を傾げる山岡を見ながら、日下部は手早く通話ボタンを押した。
「はい、日下部」
スッと医者の顔になって通話に出た日下部の顔が、ぐしゃりと歪む。
「は?はぁぁ?なんで俺が…チッ」
凶悪な舌打ちを最後に、通話をブツッと切った日下部が、ものすごく嫌そうな顔をしてガクリと項垂れた。
「どうしました?」
「いや。原の代診」
「え…?だって今日は、田中先生が入れるはずじゃ…」
「うん。その田中先生が、腹痛で遅刻してくるって」
「うわ…」
「だから、空きの俺とおまえのうち、穴開けた原のオーベンなんだから俺がやれって…」
昨日もやったのに、と恨みがましそうな目つきで虚空を睨む日下部の、内心が分かり過ぎるほどに分かった山岡だった。
『これは午後、出勤してきたら、また苛められちゃいますね、原先生…』
あはは、と笑ってしまいながらこっそり呟いた山岡に、ギロリと日下部の冷たい視線が向いた。
「おまえが代わってくれてもいいんだけど?」
「えっ、やですよ。ここはオーベンの日下部先生がフォローするところでしょう?オレっ、日下部さんの様子見に行ってきます!」
オレだって用事が~、と慌てる山岡に、日下部の「逃げたな」とシニカルに笑う顔が向けられた。
「ま、仕方がない。行ってくるか、外来」
言うほど嫌々ではないらしい日下部が、ひょいと肩を竦めて医局を出て行った。
そうして、日下部の父の回診に向かい、何事もなく順調に回復を見せている様子に安心して、ぷらりと廊下を病棟に向かって歩いていた山岡のPHSが不意に鳴り響いた。
「うわっと、今度はオレ?」
今度こそ急患か、と顔をひきつらせた山岡が、ふとPHSの画面表示を見て眉を寄せた。
「…って、あれ?これ、光村先生?」
デイスプレイに表示された番号を見て、こてりと首が傾く。
それならば急変や急患ではないか、と思いながら、ピッと通話ボタンを押した山岡の耳に、望んでいた、けれどもこのタイミングではあまり聞きたくなかったその話が、するりと飛び込んできた。
「っ、コーディネーターさんから、連絡…そう、ですか…はぃ。はぃ」
こくり、とPHSのこちらで頷く山岡の、足が心ばかり速くなる。
「レシピエントの状態は…はぃ、えぇ。今、そちらに行きますね」
通話口に向かって受け答えしながら、山岡の足が小走りになる。
タタッと軽やかに足を進める山岡の白衣の裾が、ヒラリと鳥の羽のように院内の廊下に舞い踊った。
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