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第350話

「っ、ドナーが、出たって…?」 ギリギリ正午前。移植手術に関わる予定の医師たちに、その連絡が行き渡った。 最後の外来患者を速攻で終わらせた日下部が、慌ただしく病棟に駆け込んでくる。 ナースステーションにいたスタッフたちの間に顔を出した日下部は、バタバタと受け入れ準備や手術準備を始めていたスタッフの中から山岡を見つけ出し、その姿を呼び止めていた。 「山岡先生」 「はぃ、あ、日下部先生」 「レシピエント、うちで決定だって?移植確定?」 「はぃ。意思確認クリア、状態も移植可能にあります。断る理由はありません」 「そっか…」 うん、と1つ頷いた日下部が、何を思っているのか、敏い山岡は気づいていた。 それでもそれに気づかないふりを通す。 「他の臓器もレシピエントがほぼ決定しているようです。15時から16時頃までには、臓器が届きます」 「そうか。すぐだな」 「はぃ。時間が確定しし次第、移植オペにかかりたいと考えています」 「わかった。肝臓、小腸ともに虚血許容時間は12時間だったな。摘出、搬送にどれくらい取られてくるかわからないけれど…落ち着いて掛かれば、おまえの技術なら余裕だな?」 「全力を、尽くします」 「わかった」 こくりと日下部が頷いたところで、「山岡先生~」と、向こうで看護師に呼ばれてしまい、山岡が会釈を残して去っていく。 「うん、よし。気合い入れて行くか」 ぐっ、と握り拳に力を込め、日下部が緩く口角を持ち上げる。 スゥッと1つ深呼吸をした日下部の目は、ジリジリと力強い炎を宿していた。        * バタバタと、レシピエント(移植を受ける患者)の準備が進み、手術に関わるスタッフの緊張が、じわじわと高まってきた、午後。 真っ赤に泣き腫らした目をどうにか誤魔化そうと奮闘した跡の見える原が、相変わらずいまいちよくない顔色で出勤してきた。 「おはよーございます…いや、もうこんにちはですね…」 遅くなりました、とおざなりに頭を下げて医局にやってきた原に、中で手術の手順の再確認をしながら顔を突き合わせていた山岡と日下部の目が向いた。 「あ、おはよう、原。もう大丈夫そう…ではないけど、よく来たな」 えらい、とまでは言わないが、無理をしているのがありありと分かる様子を認めて頷いた日下部に、隣で山岡もふわりと微笑んだ。 「おはようございます、原先生。頑張って来たんですね。でも、あまり無理しないでください」 ゆっくりでいい、と温かく原を迎え入れる山岡に、原が力なく首を左右に振った。 「いえ…。それより、なんだか病棟がバタバタしていましたけど…」 急変?と首を傾げる原に、日下部と山岡の視線が一瞬だけ絡み合った。 「あぁ、それな」 「はぃ。肝、小腸同時移植の例のオペが、決まったんです」 ついさっき、と告げた山岡に、原の目が、ゆっくりと見開かれていった。 「え…?それって、つまり…」 「はぃ。ドナーが出て、うちのレシピエントに決まりました。遅くても16時頃までに、臓器が輸送され始め次第、移植オペに入ります」 「おまえも見学、入るだろ?滅多にどころか、これを逃したら年単位で見られない貴重なオペだ。入っとけ」 ざわつく病棟の理由を述べた山岡に、指導医として日下部の指示の言葉が続いた。 さらさらと紡がれた2人の言葉に、原の唇がフルリと小さな震えを見せた。 「ど、して…」 「うん?」 「どうして、そんな話を、そんな淡々と紡げるんですか…?」 おかしいでしょうっ?と顔をくしゃくしゃに歪めた原が、2人の先輩医師に食って掛かった。 「だってっ、それってっ、どっかで誰かがっ…脳死したって、ことでっ…」 「そうだ」 「どこかのっ、誰かの脳死した身体からっ、呼吸器が外されてっ…臓器が取り出されて…運ばれてくるってことでっ…」 「そうだ」 「だってっ…なんでっ、なんで、このタイミング…?だってっ、脳死…っ。だってっ、それって…」 「原」 「だってっ!それって、れ…」 「原ッ!」 ドカン、と、怒鳴るように原の言葉を遮った日下部の声が、医局内の空気をピーンと張りつめさせた。

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