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第371話
(えっと、次は移植オペをしたの患者さんの様子見と…)
テクテクと、VIPエリア、専用エレベータの方に向かって廊下を歩きながら、山岡が脳内の整理をしていた。
(日下部さんは、嚥下の評価をちゃんとしてもらって…あぁ、リハ科に連絡入れておかないとな…)
頭の中のカルテに情報を書き込みながら、ナースステーションに戻ったらしなくてはならないリストを作成していく。
(そういえば途中で誰か…あぁ、白衣の、医者が…あれ?)
「ん?あれ、そうだ、日下部先生」
さっき、千里の病室に入って来たな、というところまで思い出したところで、山岡はふと、首を傾げた。
「あれ?日下部先生が来て…えっと、それから、どうしたんだっけ?」
ぼんやりと、頭に霞が掛かったように思い出せない。
「あれ…?日下部さんの診察をして…え?あれ?そのとき日下部先生は?あれ?オレ、何か話したっけ…?」
そもそも、日下部はその場にいたのだったか、それすら曖昧だ。
「疲れてるのかな…」
う~んと唸りながらも、エレベーターホールにたどり着いた山岡は、ちょうど目の前に停止しているエレベーターの表示を見つけて、名札になっているIDを胸から外す。
「まぁいっか。後で日下部先生に確認してみよう」
覚えていないくらいだから、大事な話はしていないのだろうと判断し、山岡はエレベーター横にある認証機にピッと自分のIDを翳す。
ここVIPエリアの専用エレベーターは、あらかじめ登録された医師やスタッフしか作動できないことになっている。
秘密裏に入院加療を必要とする患者のプライバシーと警備のためのシステムだ。
それをクリアした山岡は、スゥーッと開いていくエレベーターのドアから漏れ出てくる光に目を細めて、ゆっくりと足を踏み出した。
「ん…とりあえず病棟に戻って…と」
エレベーターの内側に足を踏み入れた山岡は、ピッと階数選択のボタンを押した。
その、異変の片鱗を日下部がようやく掴み始めたのは、その日の夕方も遅く、帰宅時のことだった。
「お疲れ~」
「お疲れ様です、日下部先生」
「お疲れ様」
「山岡先生もお疲れ様です」
ぷらりと手を振る日下部を見て、頭を下げた原に微笑んで、山岡もまた帰り支度を整えて、医局を後にした。
連れ立ってエレベーターホールに向かい、揃ってエレベーターに乗り込み、1階の職員出入口にたどり着く。
すでに帰宅ラッシュ時間を過ぎた出入口は閑散としていて静かなものだった。
「あ、ではオレはここで。日下部先生、お疲れ様でした」
「は?え?」
出入口のドアをくぐってすぐ、山岡が立ち止まってペコリと頭を下げた。
その様をポカンと見つめた日下部の眉が、ぎゅぅっと深く皺を寄せる。
「おまえ、何言って…」
「はぃ?」
どうかしましたか?と首を傾げる山岡は、ふざけているようでも、日下部を揶揄って楽しんでいるようでもない。
ならば。
「…ではここで、って、おまえ今日、どこかに寄り道する用事でもあったのか?俺、聞いてないんだけど?」
一緒に帰らないと言う言動の理由は他にないと、眉を寄せて尋ねた日下部に、山岡の首がコテリと傾いた。
「寄り道、ですか?あ、え~と、とりあえず、夕食の調達に、コンビニ辺りに寄ろうとは思っていますけど…」
どうして報告の必要が…と困惑しているのがありありと分かる山岡に、日下部の目がゆっくりと見開かれていった。
「ちょ、おまえ、本当に何を言ってるの?」
ガッ、と山岡の両肩を掴み、ぐるんと自分の正面に向かせた山岡を問い詰める。
掴まれた肩が痛んだのか、僅かに顔を顰めた山岡が、不思議そうにそんな日下部を見つめた。
「なにって…オレ、料理とか特にしないので、夕食にお弁当か何か買って、家に帰る…」
「家ってどこの」
「どこって、自宅ですけど」
「自宅って…」
「歩きだと少し遠いんですが…って、あれ?」
ぼやぁっと遠い目をした山岡の顔が、不意に困惑にゆらゆらと揺れた。
「山岡?」
「あれ?オレ、今何か…」
「や、まお、か…?」
「あ、えっと、日下部先生?」
何の話でしたっけ?と笑って首を傾げる山岡に、日下部の顔がぐぐっと険しいものになった。
「おまえと、自宅に帰る、って話を」
「あ、あ~、あぁ、そうです。そうでした。帰りましょう」
駐車場はあっちでしたね、と笑う山岡に、日下部は眉間の皺を深くする。
「おまえ、大丈夫か?」
「え?え~と、ちょっとぼーっとして…?あは、ごめんなさい、疲れているんですかね」
「疲れ…」
ゆるりと呑気に首を傾げる山岡に、日下部は小さく唸りながら思案気な顔をした。
「あ、あの、日下部先生…?」
異様な雰囲気に、困ったように視線を彷徨わせる山岡を、ジッと見つめていた日下部が、ふと視線を緩める。
「いや…。うん、とりあえず、うちに帰ろうか。疲れているなら、美味しいものを食べて、ゆっくり休まないとな」
作ってやるから、と、山岡を安心させるように微笑む日下部だが、その意識は、山岡の様子を注意深く窺い続けていた。
「ありがとうございます」
けれどもふわりと微笑み返す山岡の言動に、不審なところはもう何もなかった。
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