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第389話
そんなことがありつつの、翌日も、その翌日も、日下部は何かと山岡の世話を焼きたがり、きっと以前はそうしていただろうように山岡を揶揄い、けれども大切にし、戸惑いながらもそれを日常と、必死に受け止めようとする山岡の日々が続いていった。
そんな、さらに翌日。
ふと、医局でなるべく押し付けてくれと同僚の医師たちから引き受けた書類仕事を黙々と山岡がこなしていたところに、外来前の日下部が、ふらりと顔を出した。
「おはよう、山岡先生」
「あ、おはようございます、日下部先生」
「うん。あのさ、突然なんだけど、今日って仕事詰まってる?」
ひょっこりと、白衣を纏いながら山岡の手元を覗き込んだ日下部に、山岡はビクッと小さく身を竦ませながらも、そろりと顔を上げて首を振った。
「ぁ、いぇ…」
「っ、っ…。え~と、そう?よかった。じゃぁ1つお使いを頼まれて欲しいんだけど」
「なんですか?」
ヒクリと引き攣った山岡の顔と、それにきゅっと少しだけ傷ついた目をした日下部の様子に互いに気づきながらも、しらっとそれから目を背けた2人が、当り障りなく会話を続ける。
「あ~っと、うん、ちょっと放射線科にね。このCTなんだけど。ちょっと精査してもらって、必要なら追加オーダー出すから、どこかにぶち込めないか聞いてきて欲しいんだけど」
「あぁ、この画像」
「うん。読影は間違いじゃないだろうけど…」
「症状と一致しませんね」
「だろ?うん、よかった。やっぱり山岡先生だと話が早い」
パッとタブレットに画像を表示してみせた日下部に、山岡が真剣な顔をしてウンウン頷いていた。
「分かりました。午前中のうちに行ってきます」
パッ、と顔を上げた山岡が、次にはハッとしたようにまた俯いてしまう。
「……」
「……っ、あ、の?」
ジーッとその頭に視線を感じた山岡が、恐る恐るといった風に、そろりと顔を持ち上げた。
「ん。せっかくの美貌。そのまま見せっ放しにしておいてくれたらいいのに……なんてね」
ふふ、と悪戯っぽく笑う日下部だけれど、山岡はその発言に困ったようにまたふらりと俯いてしまった。
「……」
「ま、無理強いをしたいわけじゃないからな」
ごめんな、と笑って、日下部はポン、と山岡の頭を撫でる。
「っ…」
オレこそごめんなさい、ともごもごと口を動かす山岡の声は、日下部には届かない。
「ん。じゃぁ、お使い、よろしくな」
「はぃ…」
こくりと頷く山岡を確認して、日下部は、名残惜しそうに頭から手を離し、ふらりと医局を出て行った。
*
そうして午前中、医局での書類仕事がひと段落した山岡は、日下部に頼まれていたお使いをこなしてしまおうと、放射線科のある階の廊下を歩いていた。
「あれ?山岡先生?」
ふと、前方から向かってきた白衣姿の医師が、すれ違う瞬間に足を止めた。
「え…?あ、松島先生…」
「はい。松島雅」
覚えててくれたんですね、と微笑む医師に、山岡も足を止めて、チラリとそちらを窺った。
「はぃ…」
もっそりと俯いて、コクリと頷く山岡に、松島がスゥッと薄く目を細める。
山岡の手が、CT画像を表示したタブレットを持っていることに気がついて、ふと、自分が今来た方へと視線を流した。
「放射線科に用事です?」
「あ、はぃ。ちょっと」
「ですね」
ふふ、と微笑みながら、スイッと山岡の手の中のタブレットを示した松島に、山岡はほっと身体の力を抜いた。
「僕も、今放射線科へ行ってきたところなんですよ」
「そうでしたか…」
「はい。お仕事、ちゃんとなされているんですね」
不安はないですか?と山岡を気遣う松島に、山岡は少しだけ困ったように微笑みながら、ふにゃりと首を傾げた。
「あ、はぃ…。記憶は、不安ですけど…出来ることだけ、させてもらっていますので」
「そうですか」
「オレ、あれからも、頭痛を起こしたり、1度は失神してしまったりしてしまって…」
「え?」
それは大変な、と目を丸くした松島に、山岡が困ったように目を細めて、ふにゃりと俯いた。
「そうなんです。オレ、やっぱり普通じゃなくて。だから、オペとか処置とか、ほとんど他の先生に預かってもらって…本当、大した仕事は残らなかったんですけど、それでも、出来ることだけは、って思って、させてもらってて…」
それでコレ、とタブレットを軽く振って見せた山岡に、松島はこくんと頷いた。
「そうですか…」
「はぃ。でもオレ…」
「はい?」
「っ、ぁ、いぇ…。なんでもありません」
きゅぅっと唇を引き結び、ふるりと首を振った山岡に、松島はふわりと優しく微笑んだ。
「山岡先生」
「っ、は、ぃ?」
「お聞きしますよ」
「ぇ…?」
「何かお困りごととか、お話したいこと。もしありましたら、僕、お聞きしますよ?」
だから遠慮なく、と微笑む松島に、山岡はフラフラと目を彷徨わせた挙句、そろりと顔を持ち上げた。
「ほ、本当に?」
「はい」
「い、いいんですか?」
「もちろんです」
「あの、では、す、少しだけ…」
ぼそり、ととても小さな声で、それでも話したい意志を見せた山岡に、松島はにっこり微笑んで、力強く頷いた。
「はい。僕も、今日は少し手が空いていますので。もし山岡先生がよろしければ、その画像の件、済ませてから、少しお話しましょうか?」
「っ、そんなに急に、いいんですか?」
ご迷惑では、と呟く山岡に、松島はふわりと笑って首を振った。
「大丈夫です。実は僕、今日は待機要員でしてね」
急患がなければ暇なんです、と笑う松島に、山岡はじゃぁ…と手元のタブレットを見下ろした。
「すぐにこの件だけ処理してきます」
「はい。慌てなくて大丈夫ですよ、お待ちしていますから」
「いぇ、すぐに片づけてきますので、えっと…」
「ラウンジ…は他の方が来たら気になりますよね…。うちの診察室もあれですし…」
「中庭…」
「はい?」
「えっと、中庭の、奥の方の、ベンチのところ、って分かりますか?」
外ですけど、と肩を竦める山岡に、松島はふらりと思考を巡らせたあと、あぁ、と頷いた。
「ちょうど建物の影になった、人通りの少ないベンチがありますね」
「はぃ…」
「ふふ、分かりました。そこで待ち合せましょう」
「いいんですか?」
「もちろんです。では、散歩がてら、お先に向かっておりますね」
ごゆっくりでいいですよ、と微笑みながら、松島がさらりと手を振って歩き出す。
「っ、ありがとうございます。なるべく急いで向かいますから」
ぺっこりと、その後ろ姿に頭を下げて、山岡はくるりと踵を返して、放射線科に向かってスタスタと歩き出した。
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