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第397話
「っ~~!く、さかべっ、先生っ…あれっ。本当にあれで、いいんですかっ?」
ドタバタと、病院の廊下を大急ぎで走った原が、日下部の後ろ姿に追いついたのは、ちょうど日下部を飲み込んだエレベーターのドアが、閉まる寸前のところだった。
「うわっ…。怖いことするなよ、きみ…」
ガタンッ、とど派手な音を立てて、閉まり行くエレベーターのドアに両手を差し込んで、閉まるドアを押し留めた原が、そのまま腕力でグイッとドアを押し開ける。
「だって…」
「なんか、ホラー映画かなにかだと思うだろ?」
夜の病院だし?とふざけて笑う日下部に、原はぐいっとエレベーター内に身体を割り込ませて、ツン、と唇を尖らせた。
「そこは、外科医を目指している大事な手を、挟んで怪我したらどうするんだ、っていう怖さの方にしてもらいたかったんですけど」
「ふん、分かっているなら、こんな馬鹿な真似はするんじゃないよ」
まったく、傷つけていないね?と、それでも大事そうに原の両手を診る日下部に、原はなんとも奇妙な表情を浮かべていた。
「っ、なに、その変な顔…」
「っ、変って失礼ですね、相変わらず」
「だって変だもの。なんていう顔してるの、それ」
鏡見る?と揶揄ってくる日下部に、けれども原は乗っかることはなかった。
「……」
「原?」
「っ…アンタは…日下部先生はっ、結局のところ、そうやって、滅茶苦茶優しいんですよ」
「は?」
急になに、とドン引いている日下部に、原はぎゅっと眉に力を込めて、ジッとそんな日下部を見つめた。
「だってっ、日下部先生は、あんなやらかしたおれを、それでもまだ、大切にして、心配して、掬い上げようと、してくれるじゃないですかっ…」
「あ~、そう?」
そんなことあったかな~?とあらぬ方を見る日下部に、原はぐるりと回り込んで、その目をかちりと見合わせた。
「誤魔化さないでくださいっ!」
「怖…」
「っ~~!ふざけないで…っ。アンタは…っ、日下部先生は…っ」
きゅぅ、と拳を握り締め、精一杯叫ぶ原を苦笑して見つめながら、その原の肩を、日下部はぽんと、優しく叩いた。
「うん」
「っ~~!うんじゃないですよっ…」
「うん」
ふわりと微笑んで、目を薄く細める日下部に、原がきゅっと唇を噛み締めて、深く俯く。
「うん。ありがとう、原」
「っ~~!」
「うん。だけど、これでいいんだよ」
にこりと言い切る日下部に、原がふるふると小さく肩を震わせていた。
「っ~~!あなたの、愛情にっ…。気づいてもらえないのが、悲しいですっ。辛い…」
「きみじゃないだろ」
「そうですけどっ…。だって山岡先生のことっ、まだこんなにも、日下部先生は愛してっ、大切に、想っているのにっ…」
どうして!と悲痛に叫ぶ原の肩を、日下部は何度も優しく撫で上げた。
「うん。だけど、これが俺の望みだから」
「そんなのっ…」
「うん…。だけど、これが俺が選んだ道だから」
「そんなのっ…」
「うん。ごめんな。ごめんな、原」
「っ~~!おれに、謝ることなんて、なにも…っ」
「うん。だけどただ、俺は山岡泰佳を、愛しているんだ」
「日下部先生っ…」
「誇らしい医師の、山岡泰佳を。謙虚で、人にとことん優しくて、綺麗で、美しくて、健気で、可愛くて。俺が生涯で唯一、本気で愛した山岡泰佳を…」
「っ…」
「唯一、ただ1人、愛して、いるから…」
「だったら…っ」
「だから」
「っ…」
「だから、これでいい。俺が消えることで、山岡の心を守れるなら」
「っ…」
「俺が離れることであいつが信念に真っ直ぐでいられるなら」
「本望だよ」と、微笑む日下部に、息を飲んだ原は、もう何も言えなくなっていた。
1階にたどり着いたエレベーターのドアが、スゥッと左右にスライドしていく。
静かな笑顔を湛えたまま、日下部はするりと原の肩からその手を離し、扉の向こうに消えていく。
その、確かな足取りで遠ざかっていく後ろ姿を、背筋をピンと伸ばして歩いていくその姿を、原はただ、固まったままエレベーター内から見つめていた。
一歩も動けず、息も継げず、ただただ黙って、ぼんやりとその後ろ姿を見送っていた。
ゆっくりと、エレベーターのドアが閉まっていく頃、ようやくプハッと息を吐けた原の身体が、ヘナヘナと、その場のその床に崩れていった。
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