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第400話

(はぁっ…。どうしてこうなってしまったんだろう) 消化器外科単独カンファ中。テキパキと担当患者の病状説明をする日下部をジーッと見つめながら、光村はこっそりと内心で溜息をついていた。 「…で、この病巣へのアプローチですが…」 その日下部の4つ隣り、以前までは必ず隣同士で座っていたはずの山岡が、随分離れた位置で、日下部の説明に耳を傾けながら、手元のファイルを見下ろしている姿がある。 (はぁっ…) 張本人たちだけがシラッとそれぞれ、同僚としての距離感と雰囲気だけを醸し出しているのを眺めて、光村の落胆は深くなった。 (どうにも参ったね。それに、このなんとも言えない緊張感も…。言い影響とはいえないよねぇ…) はぁっ、と、一体何度目になるのか、またも内心で深い溜息をついてしまう光村は、その2人の様子を探るように窺い、異様な空気を漂わせている他の医師たちの姿もまた、懸念材料にしていた。 「それでは、本日のカンファは以上で」 なんとも微妙な空気を保ったまま、カンファはどうにかぎこちないながらもお開きを迎え、どこかホッと安堵の空気が漂う中、1人、また1人と医師たちが席を立ってカンファルームを出て行った。 「ふぅ…」 山岡も日下部も、それに続いて室内を後にする。 「っ…」 途端にピリリと緊張した空気を纏ってしまったのは、話し合いのメモにもたついて、資料の整理が遅れて出遅れてしまった原だった。 『うわぁ、まずい感じに…』 ひくり、と頬を引き攣らせてしまう原は、日下部と山岡の間になる位置に座っていた自分が出遅れたせいで、原を追い越してドアに向かった山岡が、日下部に続いてしまったことに気づいたからだ。 『っ…』 しかも、先にドアをくぐった日下部が、扉が閉まらないようにとドアを押さえて山岡が出るのを助けている姿を見て、ピリピリと緊張感を最高潮に到達させていた。 「ぁ…。ありがとうございます」 ふわり、と頭を下げてエスコートに甘えた山岡が、ぽそりと小さく呟く。 「い~え」 トテトテと、小さな歩幅で廊下に出た山岡の姿を確認して、日下部がにっこりと微笑んでいた。 「お疲れ様。カンファ、思ったより早く終わってよかったな」 「そうですね」 ピシッとすっかり固まってしまっている原の視線の先で、山岡と日下部が何気ない会話を始めながら、並んで廊下を歩いていく。 「っ、っっ。あ、の、人たちは…」 周りにこの上ない緊張感を強いながら、当人たちはいたって普通な様があんまりだ。 恨みがましくも憎らしくも思いながら、じっとりとした視線を原は閉じていくドアに向けた。 「はぁっ…。これもう、気にするだけ損か…」 どこか悟りを開いてしまったような日下部と、その日下部との距離感こそが当たり前という記憶しかない山岡。もうこれは、そんな2人にしかどうにかできない問題で、周囲がどれだけそのことに何かを思っても無駄だ、と、原は原で何かの悟りを開いていく。 「…だけど、本当にこれが、正しいことですか…?」 諦めと同時にカンファルームを出て、前を行く2人の後ろ姿を見つめながら、原は静かに日下部の背に問いかけた。 「…今夜の当直、山岡先生だったよね?」 「はぃ」 「じゃぁ602号室の高橋さん、少し気をつけて様子を見ておいてもらえる?」 「分かりました」 「どうも状態が安定しないんだよな~」 どう思う?と山岡に問いかけながら、原の呟きには気づかずに、白衣の裾を揺らして歩いていく日下部と隣の山岡の姿を見て、原は今一度、大きな溜息を吐き出した。 「ねぇねぇあの2人。本当に別れちゃったんだね」 「そうみたいね。なんか、すっごい普通にさ…」 ぺちゃくちゃと、いつものように交わされる、ナースステーションでの看護師たちの雑談。 しんみりと、少しだけ力ないのは、その噂話の2人の現状を誰もが嘆いているからか。 「あ~ぁ、やっぱり、山岡の記憶喪失に、日下部先生が耐えらんなくなっちゃったのかなぁ?」 「どうだろうね。でも私だったら…やっぱ辛いよな~。自分のことだけ忘れちゃった恋人を変わらず想い続けるのって」 「だよね。昨日までラブラブだった恋人の世界に、突然自分だけがいないんだもんね。キツいわ、それ」 日下部の気持ちも分かる、と頷き合う看護師たちが、キッとデスクの上に出しっぱなしにされていたファイルに視線を向けた。 「ったくもう、本当になんで、山岡は日下部先生のことを忘れちゃったのっ?」 「本当にね。日下部先生の何が不満で。マジありえない」 バンッと出しっぱなしのファイルを叩いた看護師が、苛立たしそうにそれを取り上げる。 「こんの山岡めぇ~。ってゆ~か、ファイルは出したらしまえっつ~の!」 こいつ、と、山岡のサインがなされた書類が挟まったファイルを憎々し気に睨みつけながら、乱雑に扱う看護師は、物にでも八つ当たらなければやってられないと言わんばかりだ。 「2人のことはさ、2人にしか分からないし、どうにもできないのは百も承知だけど…。悔しいよね」 「うん、悔しい。あんなに似合ってた2人なのに…。今の、普通の同僚としての態度が、自然に嵌ってるのがすごく悔しい」 「うん…。違うのにね。2人の在り方は…あの2人が並ぶ姿は、あんな、普通の同僚としての姿じゃないのに…っ。初めからそうだったみたいな…っ、全てがまっさらになっちゃったみたいな…あんな姿を、見るのは悔しい、ね」 うぁぁん、と嘆く看護師たちの悲鳴が、ナースステーション内の空気を揺らめかせる。 「はぁあっ。もう、本当に駄目なのかな」 「2人が、そう決めちゃったんならね…」 「悔しいなぁ」 「悔しい、ね」 しんみりと、沈むナースステーション内の空気を作り出す看護師たちみんながみんな、2人の選んだ別れの結末を望んでいないことが、痛いほどに伝わっていた。

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