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第403話
「ふふ、その小さなお口、とても可愛らしいですね」
にこりと、山岡がもそもそと料理を咀嚼する口元を眺めて、松島がぎょっとするような言葉を漏らしていた。
「ぁ、の、松島先生?」
そんなに見られると緊張する、と俯きながら、山岡が困ったようにチラリと目だけをあげる。
「ふふ、食もとても細くていらっしゃって…これで外科医ですものねぇ」
低燃費すぎません?と微笑む松島に、山岡は曖昧に首を傾げた。
「っ、っ、日下部先生、あれ…」
ひそっ、と声を潜めた原が、山岡たちの方にちらりと視線を向けながら、自分の向かいに座る日下部に囁いた。
「ん~?」
食堂の一角。山岡たちが座ったテーブルとは別の、離れた位置に場所を取った日下部は、無関心な声を上げながら、ぱくりと目の前のトレーから料理を口に運んだ。
「ん~?じゃなくって!山岡先生。いいんですか…?」
「ん?いいって何が?」
にっこりと、原の視線を追うこともしなければ、背後を振り返ろうともしない。
けれども原が示す場所には、誰と誰がいて、どんな光景が広がっているのかは分かっている様子で、それでも無関心を貫いて、日下部は鮮やかに微笑んだ。
「っ、っ…」
あまりに完璧な笑顔に、ぐ、と言葉に詰まった原が、何も言えなくなる。
「ふふ、きみ、早く食べないと時間がなくなるよ?」
それに冷めるし、と笑う日下部に、原はぎゅっと眉を寄せた変な顔をしながら、小さく俯いた。
「っ、いただきます…」
アンタは…と思わず漏れそうになった言葉を、原はギリギリのところで飲み込む。
仕方なしに手にした箸で、皿の上のエビフライを掴み上げながら、その目は憎々し気に、日下部の背後、大分離れたところでほのぼのと食事をとっている山岡と松島の姿を睨みつけていた。
「え?それでは、海外に…?」
「はぃ。まだ、少し先の話にはなりますけど…」
「そうですか」
ふわり、と微笑んだ松島は、遠く離れた場所から向けられる憎々しい視線に気づきながら、それでも山岡に向かって笑顔を貫き通した。
「ではその前に、先日言っていた、高難易度オペをされていかれるんですか?」
「はぃ…その、つもりでいます」
表情の見え難い前髪の下で、へにゃり、と曖昧な顔で微笑む山岡は、原の視線にも、そもそも同じ食堂内に原と日下部がいることも意識していない。
「そうですかぁ。すごいですね。成功、お祈りしています」
「ありがとうございます…」
ぽそり、と小さく口元を動かして、薄く目を細めた山岡が、ひょい、とまた1つ、小さく切り分けた卵焼きの欠片を掴み上げて口に運んだ。
「ふふ、ではもう少し、体力をつけないと」
ね?と笑いながら松島が、「どうぞ」と自分の皿から唐揚げをひょいっと移動させた。
「え…?」
途端に、ガバッと顔を持ち上げた山岡が、目を丸くしてそんな松島を凝視して固まる。
「はい?山岡先生?」
どうしました?と微笑む松島に、山岡はふるりと口元を震わせ、ぽろりと箸を取り落とした。
「山岡先生…?」
カラーン…と、箸が食堂の床に転がる音が、やけに大きく耳に響く。
「っ、ぁ、オ、レ…」
『で、何食べる?』
「っぁ、オ、レ…」
「山岡先生?」
『それにしても、本当、少食』
ぐらり、と歪む視界には、山岡を心配そうに見つめる松島の顔。
けれどもそこにブレたように重なる、誰かの揶揄うような明るい笑顔はなんなのか。
『いやぁ、相変わらず、カロリーが足りていないみたいだから、追加をね』
「な、に…」
小鉢を数品、それしか乗せていないはずのトレーの上に、ドサドサと移動される、唐揚げとエビフライの光景が、ぶわり、と目の前の景色を滲ませた。
「ま、つしま、せん、せ…」
(あぁなんだろう…)
きゅぅっと胸を鷲掴みにされるような、息苦しいほどの、この感覚は。
「ぅ、ぁ…」
松島が、唐揚げを分けてくれたから…?
(嬉しい…?)
それだけでこんなに、胸が絞られるような思いをするだろうか。
「山岡先生?」
「ぇ…ぁ…?松島、せん…せ…?」
「山岡先生?」
「っ、あぁっ、あぁ…っ」
(痛、い。痛い、痛いっ。頭が痛い!)
「っちょ、山岡先生っ?」
「痛い…っ、い、た、い…」
突然、ぎゅぅぅっと脳みそを締め付けられるような痛みを頭に感じ、山岡はのたうつように頭を抱えて、ぐらりと身体を傾かせた。
「山岡先生っ!」
反射的にバッと向かいの椅子から立ち上がり、テーブルを回った松島が、山岡が倒れ込む寸前でその身体を抱き止める。
「山岡先生!山岡先生っ」
「ぁ…松島先生…オ、レ…」
「はい。はい。大丈夫、大丈夫ですよ」
「ぁ…オ、レ……。っ、っ、ぁ、痛、ぃ…」
ふにゃり、と松島の白衣に縋りつき、きゅぅ、とその胸に頭を預ける山岡を、松島はふわりと優しく抱き締めた。
「っ、ぁ…」
ふわり、ふわりと真綿で包まれるような優しさで、何度も背中を往復する松島の手に、山岡はゆっくり目を閉じていった。
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