415 / 426
第415話
*
「お疲れ様です、山岡先生」
「お疲れ様です」
かんぱ~い、と掛け声が上がる、居酒屋1室の個室内で、山岡は手にしたジョッキを遠慮がちに、コツンと相手のジョッキに当てた。
「ふふ、仕事後の1杯が、最高ですね」
「んっ…美味しいです」
ふにゃり、と微笑む山岡の向かいには、ゴッゴッと軽快に喉を鳴らす松島が、美味しそうにビールを流し込んでいる。
終業後の午後7時。「どうです?今日は仕事終わりに飲みにでも」と松島に昼間誘われていた山岡は、こくりと頷き、2人で病院から徒歩圏内の居酒屋に飲みにやって来ていた。
「ふふ、山岡先生も、いい飲みっぷりですね」
「ぁ、いぇ…」
「結構イケる口ですか?」
意外だなぁ、と微笑む松島に、山岡は曖昧に首を傾げながら、ジョッキの半分ほどが減ったビールを、コトンとテーブルに置いた。
「あまり、強くはないと思うんですけど…」
よく分からない、と言う山岡に、松島は優雅に微笑み、お料理も頼みましょう、とメニューを差し出した。
「お嫌いなものはおありですか?」
「ぇ…?いぇ、特に…。なんでも食べます」
「そうですか。あっ、この串揚げとか…あぁ、お魚も美味しそうですね」
どれにしましょうか、と微笑む松島に、ちらりとメニューに目を走らせながら、山岡が「お任せします」と小さな声で告げている。
「せっかくですから」
お好きなものをどうぞ、と首を傾げて問う松島に、山岡はぼんやりとメニューを眺めながら、ゆるりと手を伸ばした。
「卵焼き、串の盛り合わせ…。サラダに…ご飯もの…」
ボーッとしながら、するり、するりとメニューの文字を指先で撫でる山岡が、ポツポツと言葉を漏らした。
「山岡先生…?」
「飲んでつまみをつまむだけじゃなくて…」
これと、これと、とメニューの文字を指で辿る山岡に、松島は怪訝そうにしながら、その顔をひょいと覗き込んだ。
「山岡先生?」
「っ、ぁ…ぇ?は、はぃ」
あれ?オレ…なんてびっくりしている山岡と、ぴたりと目を合わせて、松島がふわりと微笑む。
「えぇと、今山岡先生がおっしゃったもの、いいですね」
ぼんやりと、まるで何かに操られるような様子だったことは見なかったことにして、優雅に微笑んだ松島に、山岡はオロオロとしながらますます深く俯いた。
「ぁの、オレ…」
(なんだろう?なんでオレ、そんなにスラスラと注文する料理が…)
戸惑っている山岡は、特に食に関して主張も好みもなかったことを自覚している。
「ふふ、大丈夫ですよ。お腹が空いていらっしゃるんです、きっと」
ぼんやりするのは血糖値が下がっているせいだと告げる松島に、山岡は曖昧に首を傾げた。
「そこにいきなり飲んでしまいましたからね」
アルコールが急激に回ったのだ、と重ねる松島に、納得は出来ないものの、だからと言って別の説明もつかない山岡は、こくりと頷く。
「ほら、今日は食べて飲んで。さっぱりと楽しみましょう」
「はぃ…」
もう1度かんぱ~い、とジョッキを合わせられてしまえば、押しに弱い山岡は、ゴクゴクとジョッキの中身を喉に流し込むしかない。
「2杯目もビールにします?」
他にもたくさんお酒の種類がありますけど、と、今度はドリンクのメニューを渡してくる松島に、山岡はもそりと俯きながら、「ビールで…」と小声で告げた。
「んぁぁっ、ふぇ~、それで、松島先生の、あの縫合の速さがですね…」
くにゃりとテーブルにだらしなく凭れ、ふわふわとした笑顔を松島に向けながら、山岡が語っていた。
「ふふ、そんなに速かったです?」
「速いですよ~。しかも、ものすごく正確で」
驚きました、と笑っている山岡は、すでに空けたグラスの数が両手に差し掛かり、すっかりいい感じに出来上がりつつある。
「ですが、それを言うなら、山岡先生の手際も。あんなに神がかったオペは、初めて見たのですけど」
「ぇぇ~?」
オレは人間ですよ~?なんてとぼけたことを言っている山岡に、松島は苦笑しながら、内心でほくほくとほくそ笑んでいた。
(くすくす、この酔いっぷり。なんて可愛らしいお方。これは、いい具合に潰れて、今夜の内に食えてしまいそうですかね)
こんなに簡単でいいのか、と笑う松島の、内心など気づきもせずに、山岡はご機嫌で杯を重ねている。
(さきほどうっかりと記憶の片鱗が表に出掛かった様子もありましたし…。これは、今夜決めてしまうに限りますかねぇ)
山岡を飲みに誘ったときから、下心が満載だった松島が、すっかり酔いが回って別人になりつつある山岡に、ニコニコと嬉しそうな笑顔を向ける。
「ふふ、もうグラスが空ですね。次は何をいきます?」
「ん~?甘いの~。このね~、色の綺麗な…」
ふにゃりと笑って適当にメニューを指差す山岡に、「落ちたな」と内心でにやりと笑みを浮かべながら、松島は度数が強めのお酒を、とどめとばかりに注文した。
ともだちにシェアしよう!