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第20話

5回ほど店に通った頃には、安藤はお客が帰った後や閉店後などはこれまでは見せてくれたことがないような、優しい顔を見せてくれるようになってきた。そのことに由紀也は何となく気付いたけれど、気付かないフリをしていた。そんな顔をしていることを、安藤自身も気づいていないようだから。 『前は自分との間に線を引かれているように感じてたけど…ちょっとずつ安藤さんに近づけてるのかな…』  そんな風に由紀也は思っていた。心がぴったりとくっつけるとは思っていないけれど、心の壁くらいは取っ払えるくらいに安藤と仲良くなりたい。 次の3連休は、保育園も休みなので由紀也は3日間とも店で働いた。安藤は『それでは先生の休みがなくなる』と言っていたが、自分がやりたくてしていることだし楽しいからと言って、3日間通しで来たのだ。さすがに連休ということもあり、店は予約で埋まる勢いでひっきりなしに客が訪れた。まだ慣れたとは言い難い由紀也も、てんやわんやしながらも安藤のサポートをしたが、3日目の午後にもなると安藤も疲れがピークに達してきたようだった。 『大丈夫かな…安藤さん…』  由紀也は心配したが、疲れ果てているはずの安藤は驚異の集中力で次々と刺青を完成させていく。これがプロなのだなと由紀也も感じる。こういったところも、安藤の尊敬できる部分かもしれない。 その夜、最後の客が帰った後に安藤が「疲れたな、ちょっと」と言って由紀也に近づいてきた。どうしたんだろうと思ったら、彼は器具を戸棚にしまっていた由紀也に背後から腕を回して抱き着いてきた。 一瞬、わけが分からなかった。何で彼がこんなことをするのか…。それでも、心身ともに疲弊していることは分かった。 自分で、安藤を癒すことができるのだろうか。由紀也はふとそう思う。 「安藤さん…」 「すみません…疲れちゃって…少しの間、こうしててもいいですか?」  肩越しに聞こえる安藤の声は、いつもより弱弱しく感じられた。お客がいなくなり、彼は気が抜けたのもあるかもしれない。 「良いですよ…。好きなだけ、どうぞ」  こうして、甘えてくれるのは嬉しい。けれどやっぱり、どうして自分にこんなことをしてくるのか、安藤の心が読めない。 それでも、この店の主だというのに未だに自分に敬語を使ってくる、この男が好きだと由紀也は思った。 しかし心臓の動きが忙しない。 こんなに安藤と密着するのは、懇親会以来だ。しかも、理由はどうあれ安藤の方から抱き着いてきたのだから、ドキドキしないはずがない。  どのくらい、そうしていただろうか。しばらくして安藤は由紀也を抱き締めていた腕を解いて、身体を離した。 そのことに、由紀也はふと寂しさを感じた。もっとこうしていたかった。このまま時が止まってしまえば良かったのに。 「すみませんでした、先生」 「そんな…謝らないでください」  謝られたことで、由紀也は安藤との隔たりを感じた。彼との間に壁があることが、やっぱり悲しい。 安藤のこの行動は、一時的なものだと分かるから。 「もう、大丈夫です。落ち着きました」 「そうですか。なら良かったです」  微力ではあっても、安藤の力になれたこと、自分が安藤を落ち着かせることができたことは、素直に嬉しかった。 それだけでいい。もっと仲良くなりたいなどと思っていたけれど、もう他に何も望むまいと由紀也は心の中で誓った。

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