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 ペットショップの開店時間に合わせて、割と早い時間にマンションを出た。  8月の炎天下。  ただの用事なら1分歩いただけでうんざりするのだけど、用が用だけに、何の苦にもならない。  隣を歩く恋人の楽しそうな表情を見れば、なおさらだ。 「あきは犬飼ってたことあるの?」 「ううん。ペットは小さい頃にハムスターを飼っていたくらいで、初心者。深澄は?」 「成瀬(なるせ)家は熱帯魚派ですね」 「あ、玄関のところの?」 「そうそう。いま飼ってるの、何代目かな。父さんが好きで、俺が小学生の頃からずーっと飼い続けてる」  他愛もない会話をしながら、隣駅の駅前にあるペットショップに着いた。  時刻は10:02。  開店直後でお客さんは少ないだろうから、たくさん触れ合えるのではないかと思う。  入口の前で、あきは、穏やかな笑顔を浮かべた。 「なんとなく、良い出会いがあるような気がするね」  自動ドアを入ると、案の定、他のお客さんはまだ誰もいなかった。  迷いなくまっすぐ、子犬のコーナーへ。  あきは腰を折り、目を細めてガラスケースの中を見て回る。  きれいな横顔を見て、ドキッとしてしまった――3年経っても、毎日顔を合わせていても、こういうことは往々にしてある。 「見て、深澄。いたいた」  しゃがみ込むあきに手招きされて近寄ると、ちっちゃな豆柴が、興味津々といった顔つきでこちらを見ていた。 「抱っこさせてもらう?」 「うん。聞いてくるから、深澄はそこにいて?」  すくっと立ち上がり、近くにいた女性の店員さんに話しかける。  仕事の愛想笑いとはちょっと違うような、乙女の顔を感じるけど、それもあきあるあるだ。  何気なく話しかけた女性を、乙女に変えてしまう。年齢問わず。  犬の方へ向き直る。  生後5週間の男の子。  他の犬は、ガラスに近づいた瞬間に出してくれとばかりに跳ねるか、ただ寝ているだけなのに、この犬は、立ち上がってこちらを見ているものの、何もしない。  おとなしいのかな、なんて思っていたら、あきが店員さんを連れて戻ってきた。  勧められたいすに並んで座る。  店員さんがガラスを開けると、犬は、うれしそうに尻尾を振った。  店員さんが抱きかかえてこちらにやってきて、あきのひざの上に乗せた。 「わあ、可愛い」  あきは、子供みたいに目を輝かせて、犬を抱きしめた。 「豆柴は元々かしこくてあまり吠えない性格ですが、この子は特に、甘えたののんびり屋さんです」  犬は、初対面のあきの腕の中で、すっかりくつろいでいる。  あきは、背中をなでたり顔を覗き込んだり、早くもメロメロ状態だ。 「深澄も抱っこしてみる?」 「うん」  脇を抱きかかえてこちらへ。  思ったよりずっしりと重みがあるし、なんだか、体温がぬるい。  確かに生きているのだな、という感じがする。 「わ、わ。あはは。遊びたいの?」  俺のひざに来た途端、前足をちょっとお腹の辺りに置いて、俺の顔をなめ始めた。  あきは、楽しそうに微笑む。 「人柄を感じ取っているのかな? 深澄は遊んでくれそうって思ったのかも」 「そうですね。この子は賢いので、人をよく見ています」  あそぼう、あそぼう、と言っているみたい。  でも店員さんの言うとおり、基本的にはおとなしいんだと思う。  ジタバタ暴れるような感じはないし、甘えてくる勢いも、のけぞってしまうほどではない。 「あき、すっごく可愛いね」  話しかけると、あきは大きくこくっとうなずいた。  再びあきに返すと、犬はひざの上で丸まった。  あきはその背中をなでながら、「うーん」と考えるようなそぶりを見せる。 「どう? この子飼いたい?」 「うん、顔も性格も気に入ったし、いいなと思うけど……衝動買いみたいに飼ってもいいのかなというのは、少し悩んでしまうね。命だし、責任もある」  犬が、チラッと顔を上げて、あきを見る。  あきは、その小さな頭をなでながら、店員さんに言った。 「きょうは一旦帰って、本当に飼うか、もう一度よく検討します」 「かしこまりました。ほら、おいで」  店員さんが呼びかけ、そのまま、人間の赤ちゃんみたいに抱きかかえる。  俺たちは、少し名残惜しく思いつつ、手を振った。  その後は店員さんの案内で、犬を飼うのに必要なものなどを見せてもらって、店を出た。  時刻は10:30過ぎ。まだまだたっぷり、余裕はある。 「どうする? 他のお店も見てみる?」 「いや、飼うならあの子がいいなと思ってる。こういうのは一期一会のご縁だと思うから、初めに会ったあの子が、運命なんだと思う。でも、さっきも言ったけれど、大事な命を『可愛い』と言って安易に飼うのは良くないと思って」  犬の値段も、住むための道具も、全部揃えたらかなりの金額になった。  それ以外にも、エサ代もかかるし、病気や予防接種のときは、病院にかかることにもなるだろう。  諸々の負担を考えて、それでも飼いたいと思えるかどうか……。  考えを巡らせていると、あきが、不意に笑った。 「深澄とわんちゃんは、よく似合ってた」 「そう?」 「もう何年も一緒の相棒みたいだったよ」  そういうあきだって、何年も連れ添ってすっかりまったりした飼い主と犬って感じだっけれど、何となく言わないでおいた。

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