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2 放課後は独り占め
夏休みに入った。
そして、夏休みに入ってから、春馬さんの距離感がおかしい。
変わらず毎日電話していて、何を読んだだのあれが読みたいだの、会話の内容自体はいままでどおりなんだけど……。
『学校で何を話すってわけじゃないけど、やっぱり姿が見えないと、ちょっと寂しいね』
「あー、はい。まあ、そうですね」
抑揚のない声でそういうこと言うのやめてもらえますか?
どうせ、真顔で他意もなく尊い発言を繰り返してるんでしょ?
天然なんでしょ……!?
俺の決意を、あざやかに踏みにじってくる。
どんどん好きになっちゃう。
内心、ひざをついてうなだれ、完全に降伏している気分だ。
おそるべし、川上春馬。
『高野くん、夏休みはどこか行くの?』
「家族では3日くらいばあちゃんちに行くだけなんで、他はひたすらバイトです」
『そっか。稼ぎどきだね』
「あ、あと、池袋のアニマートに行こうかと思ってます。『ヘヴンズヘヴン』アニメ化するじゃないですか。等身大パネルが出るらしくて」
『へえ、アニメ化するの? 知らなかった。時代は変わったね、BLがアニメ化なんて』
そして春馬さんはそれっきり黙る。
「あの? 眠いですか? 寝ます?」
『ん? いや、眠くはないんだけど……そうじゃなくて……』
そしてまた黙る。
もしかして、一緒に行きたいとか?
……と、都合のよい妄想が頭を駆け巡ったところで、ぶんぶんと頭を振った。
さすがにそこまでは期待しちゃダメだ。
春馬さんのことは尊いコンテンツとして見るにとどめようと、毎日確認してから電話してるじゃないか。
しかし。
『なんか、この仕事してなければよかったな』
「え? なんでですか?」
『だって、全然関係ない間柄だったら、高野くんと一緒にどこへでもでかけられたでしょ?』
うわああああ!
やめろ、やめろ! キュン死する!
どうコメントしていいやらと慌てていると、春馬さんは、なんの意味も込めていなさそうな感じで、さらに続けた。
『せっかくこんなに趣味が合うのに、絶対に友達になれないなんて。悪運を呪うよ』
「あー……まあ、それは俺も思いますけど」
『でもまあ、仕方ないか。卒業したら自由に遊べるんだし、それまでは電話で我慢するね』
神様。
なぜ俺の好きな人は、こんなに容易 く俺を萌やしてくるんですか?
瀕死だ。いまのはクリティカルヒットだった。
なんだよ、電話で我慢って。
我慢って。
……がまん。
「あー、もう本音言いますね? 俺だって春馬さんと出かけたいですよ。ヘヴンズヘヴンのパネル、ひとりで見に行っても楽しいか分かんないですし。記念撮影したいけど、カメラロールにそんなもん残すわけにいかないから、見るだけで終わりです。ひとりで行っても虚しい。春馬さんと行きたかった」
早口にばーっと言ってから、後悔した。
こんなこと言われたって、春馬さんは困るだけだ。
しかし春馬さんは、「うーん」と少し考えたあと、驚くべき言葉を口にした。
『あのね、高野くん。これ、会わないことにしてるの、意味あるのかな』
「え?」
『いくら会っていないと言っても、教員と生徒が毎日個人的に連絡を取ってるという事実は、変わらないわけじゃない? 会わないことにしていたって、既に嘘がひとつあることには変わりがない』
春馬さんが何を言おうとしているのかが分かってしまって、心臓がドクドクと早鐘 を打つ。
『会っても、嘘がふたつに増えるだけというか』
「いやいやいや、ダメですよ!」
慌てて止める。
「電話だけなら絶対人にバレないですし、万が一バレたとしても『知らなかった』で押し通せます。でも、会っちゃったらそれはもう確信犯なんで、春馬さんクビになっちゃいますから。それはダメです」
春馬さんは、はーっと長く息を吐いた。
『あーあ、高野くんに会いたい』
「えっ!?」
『間違えた。高野くんとアニマートに行きたい』
そんな、ハンバーグ食べたいみたいな感じで言うのやめてもらえます?
そして、さらっと訂正するのやめてもらえます?
どっちが本音だったか分かっちゃうじゃん……!
俺に会いたかったんでしょ!?
「あの、春馬さん」
『僕、高野くんと友達になりたい。転職しようかな』
「はい?」
『仕事を辞めたら、高野くんと思う存分腐男子トークができる』
「いやいやいや、BL話のためにそこまでしないでください」
『だから、前にも言ったでしょ? 生きがいだって』
……無理だ。キュン死不可避。
まもなく絶命かというところでなんとか持ち直して、命からがら答える。
「ちょっと、きょうはもうこの話、やめましょう? 俺もなんか変な気起こしそうになってますし、春馬さんもそんなこと考えちゃダメです」
春馬さんは、しばらく黙ったあと、ぽつっと「そうだね」と言った。
いつもどおり、平坦な声。でも、なんかちょっと、寂しそうな気がする。
『またあしたね。おやすみ』
「はい。おやすみなさい」
またあした、またあしたの電話を繰り返して、1年半やり過ごせばいいだけの話で。
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