8 / 69

2 放課後は独り占め

 夏休みに入った。  そして、夏休みに入ってから、春馬さんの距離感がおかしい。  変わらず毎日電話していて、何を読んだだのあれが読みたいだの、会話の内容自体はいままでどおりなんだけど……。 『学校で何を話すってわけじゃないけど、やっぱり姿が見えないと、ちょっと寂しいね』 「あー、はい。まあ、そうですね」  抑揚のない声でそういうこと言うのやめてもらえますか?  どうせ、真顔で他意もなく尊い発言を繰り返してるんでしょ?  天然なんでしょ……!?  俺の決意を、あざやかに踏みにじってくる。  どんどん好きになっちゃう。  内心、ひざをついてうなだれ、完全に降伏している気分だ。  おそるべし、川上春馬。 『高野くん、夏休みはどこか行くの?』 「家族では3日くらいばあちゃんちに行くだけなんで、他はひたすらバイトです」 『そっか。稼ぎどきだね』 「あ、あと、池袋のアニマートに行こうかと思ってます。『ヘヴンズヘヴン』アニメ化するじゃないですか。等身大パネルが出るらしくて」 『へえ、アニメ化するの? 知らなかった。時代は変わったね、BLがアニメ化なんて』  そして春馬さんはそれっきり黙る。 「あの? 眠いですか? 寝ます?」 『ん? いや、眠くはないんだけど……そうじゃなくて……』  そしてまた黙る。  もしかして、一緒に行きたいとか?  ……と、都合のよい妄想が頭を駆け巡ったところで、ぶんぶんと頭を振った。  さすがにそこまでは期待しちゃダメだ。  春馬さんのことは尊いコンテンツとして見るにとどめようと、毎日確認してから電話してるじゃないか。  しかし。 『なんか、この仕事してなければよかったな』 「え? なんでですか?」 『だって、全然関係ない間柄だったら、高野くんと一緒にどこへでもでかけられたでしょ?』  うわああああ!  やめろ、やめろ! キュン死する!  どうコメントしていいやらと慌てていると、春馬さんは、なんの意味も込めていなさそうな感じで、さらに続けた。 『せっかくこんなに趣味が合うのに、絶対に友達になれないなんて。悪運を呪うよ』 「あー……まあ、それは俺も思いますけど」 『でもまあ、仕方ないか。卒業したら自由に遊べるんだし、それまでは電話で我慢するね』  神様。  なぜ俺の好きな人は、こんなに容易(たやす)く俺を萌やしてくるんですか?  瀕死だ。いまのはクリティカルヒットだった。  なんだよ、電話で我慢って。  我慢って。  ……がまん。 「あー、もう本音言いますね? 俺だって春馬さんと出かけたいですよ。ヘヴンズヘヴンのパネル、ひとりで見に行っても楽しいか分かんないですし。記念撮影したいけど、カメラロールにそんなもん残すわけにいかないから、見るだけで終わりです。ひとりで行っても虚しい。春馬さんと行きたかった」  早口にばーっと言ってから、後悔した。  こんなこと言われたって、春馬さんは困るだけだ。  しかし春馬さんは、「うーん」と少し考えたあと、驚くべき言葉を口にした。 『あのね、高野くん。これ、会わないことにしてるの、意味あるのかな』 「え?」 『いくら会っていないと言っても、教員と生徒が毎日個人的に連絡を取ってるという事実は、変わらないわけじゃない? 会わないことにしていたって、既に嘘がひとつあることには変わりがない』  春馬さんが何を言おうとしているのかが分かってしまって、心臓がドクドクと早鐘(はやがね)を打つ。 『会っても、嘘がふたつに増えるだけというか』 「いやいやいや、ダメですよ!」  慌てて止める。 「電話だけなら絶対人にバレないですし、万が一バレたとしても『知らなかった』で押し通せます。でも、会っちゃったらそれはもう確信犯なんで、春馬さんクビになっちゃいますから。それはダメです」  春馬さんは、はーっと長く息を吐いた。 『あーあ、高野くんに会いたい』 「えっ!?」 『間違えた。高野くんとアニマートに行きたい』  そんな、ハンバーグ食べたいみたいな感じで言うのやめてもらえます?  そして、さらっと訂正するのやめてもらえます?  どっちが本音だったか分かっちゃうじゃん……!  俺に会いたかったんでしょ!? 「あの、春馬さん」 『僕、高野くんと友達になりたい。転職しようかな』 「はい?」 『仕事を辞めたら、高野くんと思う存分腐男子トークができる』 「いやいやいや、BL話のためにそこまでしないでください」 『だから、前にも言ったでしょ? 生きがいだって』  ……無理だ。キュン死不可避。  まもなく絶命かというところでなんとか持ち直して、命からがら答える。 「ちょっと、きょうはもうこの話、やめましょう? 俺もなんか変な気起こしそうになってますし、春馬さんもそんなこと考えちゃダメです」  春馬さんは、しばらく黙ったあと、ぽつっと「そうだね」と言った。  いつもどおり、平坦な声。でも、なんかちょっと、寂しそうな気がする。 『またあしたね。おやすみ』 「はい。おやすみなさい」  またあした、またあしたの電話を繰り返して、1年半やり過ごせばいいだけの話で。

ともだちにシェアしよう!