12 / 69

2-5

 土曜日、池袋。酷暑の中の黒ウレタンマスクはきつい。  改札の前で待っていると、シンプルな白シャツに黒のスキニーデニムを履いた春馬さんがとことことやってきた。  真顔。いや、ちょっと暑そうか。  私服にキュンとする。 「お待たせしました。ごめんね、遅くなって」 「いえいえ。じゃあこれ、はい」  グレーのマスクを渡す。 「すごいね、変装」 「マスクが市民権を得ている時代でよかったです」  俺たちは5日かけて、何が何階にあるかや、いまやっているキャンペーンを入念にリサーチした。  男の戦いだ。  全く男らしくない内容ではあるけれど、男の戦いには変わりない。 「うわ……思った以上に女性だらけだね……」  入り口を目の前に、呆然と立ち尽くす。  さすが夏休み。  正直、マジでひとりで来なくてよかったと、心底ほっとした。  エレベーターは、とてもじゃないけど乗れそうにない。  狭い上に無駄に露出の高い女の子が多すぎて、入ろうものなら針のむしろだろう。  戦いだから仕方がないと、階段を上がる。 「すごいですよ春馬さん。壁、聖夜様だらけです」 「これ持って帰りたいなあ」 「持って帰ってどうするんですか?」 「飾る?」 「でかすぎません?」 「このくらいのスペースはあるよ」  なかなかいい家に住んでるんだな、とかどうでもいいことを考えつつ、お目当ての階にたどり着く。  そして、パネルと感動のご対面だ。 「うわー……ほんとにアニメ化するんだって感じですね」 「録画しようっと」 「いいなー。うち無理ですもん」 「見に来る?」  ……は? い?  いやいやいや、むりむりむりむり!  死んじゃう。  見に行くってことは、毎週行くことになるんだぞ? 「いや、さすがに自宅に行くのはまずいですよ」 「そう? もうふたつも秘密があるんだから、いくつ問題起こしても同じだって」  俺の心臓がもたないんだよ!  と絶叫しそうになるのを、すんでのところで踏みとどまる。  春馬さんは真顔のままこてっと首をかしげた。 「本当に、いつでも来ていいよ? 書籍も300冊くらいはあるし。電子になってないような古いのもあるから」 「300? すご……。春馬さんっていつから腐男子なんですか?」  と言った瞬間、周りにいた人たちが一斉に振り向いた。  やばい! 腐女子の特定キーワードに対する地獄耳を忘れてた! 「んと……中学生くらい? 10年以上だね」  めっちゃ、めっちゃ顔覗き込むじゃん。女ども。  ついでに俺の顔も。  どうせ心の中で、好き勝手にCP化してるんだろう。  うるさい、お前らの大好物の先生×生徒だぞ!  なりたくてもなれないけどな!  内心悪態をつきつつ、再びヘヴンズヘヴンのパネルに向き直る。  ……はあ、俺様ドS御曹司・聖夜様、かっこいい。 「どう? 満足?」 「はい。でもやっぱり、動く聖也様見たいです。見に行ってもいいですか?」  振り向く女ども。  スマホを向けるんじゃねえ!  マスクを買ってえらかったぞと、今朝の自分をほめてやりたい。 「うん、ぜひ来て。楽しみが増えたな。動くせい×りくも楽しみだし、タミくんが家に来てくれるなんて」  ほぼ起伏なしの声なのがかえって尊い。  それに、外限定で『タミくん』と呼んでもらうことにしたけど、これもまたいい。  キュンとしつつフロアに足を踏み入れる。 「グッズすごいですね」 「アクスタ買っちゃおうかな」 「え、そういうの集めてる派ですか?」 「ううん、ないけど、タミくんと出掛けた記念に。これ見るたびに思い出すかなって」  はー、萌えた萌えた。  クラクラしていると、春馬さんは、トドメの1発バズーカをこちらに打ってきた。 「これからたくさん思い出ができても、きょうは特別かもね」  俺は死んだ。

ともだちにシェアしよう!