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水道で手を濡らして戻ってくると、まんまといすに座らされた先生は、黙ってじっとしていた。
「じゃ、すいません。ちょっと失礼しますね」
ざっと髪に手を差し入れて、わしゃわしゃと全体を湿らせる。
こういうのは、下手に遠慮したらかえって怪しくなるのだ。
自然に、なんともない風に、仕方ないなあみたいな雰囲気で……。
女子からワックスをもらって手のひらに広げて、ばーっと散らす。
画像を見つつ、適当に毛束を作って動きをつけて、前髪を流してはい完成。
「これでいい?」
「おー、高野すごい! なったなった!」
さりげなくスマホカメラを向けようとする女子に気づいて、先生は慌ててぱたぱたと両手を振った。
「あっ、写真は……」
「誰か鏡持ってきてー」
先生の声にかぶせるように言うと、女子が嬉々として大きな手鏡を貸してくれた。
「こんな感じです。適当にばーってやって、ところどころねじったら束になるんで」
ちょっとつまんで見せたら、先生は鏡を覗き込んだままちょっと緊張していた。
「やば、川上先生かわいー」
ついに殺意が芽生えたところで、先生は首だけこっちを向けて、ちょっと頭を下げた。
「高野くん、教えてくれてありがとう」
「いや、そんな、教えるとかじゃ……」
まさかの、本人にキュン殺されるところだった。
「先生、あしたからやってきてくださいねー?」
「……いや、大事な行事の時だけにしておきます」
そう、やめて。本当にやり始めたら、女子が調子乗るから。
「お弁当の時間がなくなっちゃうね。みんな、お気遣いありがとう」
先生はさっと立ち上がり、ほーんの少しだけ笑って教室を出て行った。
ぽかんとする女子たち。ややあって、ぎゃーぎゃー騒ぎ出した。
「ほら! 遠山礼央だった」
「でもまー、しゃべり方と表情があれじゃあね。暗いオーラは消せなかったか」
「いやいや、ちょっと笑ったじゃん。もしかしたら急に目覚めてフレンドリーになるかもよ」
「高野、ファインプレー」
「……ああ、そりゃどうも」
中北 の遠山礼央、とかいうバカな通り名をつけ始めた女子に適当に手を振って、水道に手を洗いにいく。
すると、廊下の向こう側で、川上先生が家庭科の三谷 先生と話しているのが見えた。
三谷先生はおっとり系美人で、アラサーのはずだけど、『全然いける』とか言ってる男子生徒がけっこういる。
川上先生は、満面の笑みの三谷先生に、何やら小さく首を振ったりしている。
ああ、髪型のことをほめられているんだ。
そしてたしか三谷先生は独身。下手したら、狙われるんじゃないだろうか。
……とか考えていたら、急に、自分がアホらしく感じてきた。
なんか、いくら恋人ができたのが初めてだからといって、こんなにやきもちを妬いたりイライラするもんなのかと、自分に呆れてしまう。
先生が生徒に慕われるのとか、いいことじゃんか。
なんで素直によろこべないんだろうと思ったら途端虚しくなってきて、小さくうめきながら手を洗った。
帰りのホームルーム前、女子がまた川上先生のうわさ話をしていた。
「彼女いるのかなー?」
「いや、いたことあるのかなレベルじゃない? 女の人と雑談するとことか想像つかないもん」
「童貞だったらどうしよ、ウケる」
なんて下品な会話だ、と内心呆れつつ、つい聞き耳を立ててしまう。
「エッチ下手そう」
「ムードづくりとかピロートークとか一切なしみたいなね」
「むしろ最中も無言そう」
「それはやばい」
勝手な妄想で手を叩いて爆笑する女子。そろそろブチギレそうな俺。
ふざけんなよ、めちゃめちゃ萌えるし尊いわ。
……と思ったけど、こんな奴らに春馬さんのキュン発言を絶対に聞かせたくないし、何とでも言え、と心の中で吐き捨てる。
「休みの日とか何してんだろうね」
「野鳥観察とか?」
「あはは、理科教師っぽい」
「いや、ワンチャン、女の子と植物園デートとかありえるかもよ」
「そしてキスもできずに帰る、と」
あー、うるさい。うるさい。
さすがに苦情を言おうと思った、その時。
「でもさあ、超まじめな遠山礼央が緊張気味にキスしてくるとか考えたらちょっと良くない?」
「あ、確かに」
「浮気の心配ゼロの遠山礼央。いいかも」
「ほらー、ホームルーム始めるぞー」
担任が入ってきて、宙ぶらりんに会話は終了。
でも俺は、要らぬもやもやを抱えてしまった。
まあ、いいんだ。
あしたは春馬さんの家で初めてのおうちデートをして……そしたらきっと気が晴れるはず。
そう思うことにして、考えるのをやめた。
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