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6 No Longer Teacher

 11月1日。中野北高校が揺れた。  川上先生が2学期末で退職すると発表されたのだ。  阿鼻叫喚、死屍累々。  女共の絶望する姿が愉快でたまらない!  ……かと思いきや、案外そうでもなかった。  なんだろう。  退職するって知ってたのに、その退職は俺のためなのに、やっぱり寂しい。  それに、自然科学部の面々を見たら、想像通りかなり沈んだ顔をしていて、少し申し訳なかった。  たまらず声を掛けたら、『入れ替わりで高野くんが入ってくれるって思えば』みたいなことを言ってくれた。  超おどおどしながらだったけど、仲間に入れてくれる感じは、素直にほっこりする。  川上先生の置き土産のひとつが彼らだとしたら、そんな風に言ってもらえるのは、救いだ。  衝撃のホームルームから、放心状態だった女子たち。  昼休みになると、あちこちで嘆く声が聞こえてきた。  前の席の3人も、弁当を食べながらため息をこぼしている。 「もうマジで、学校来る楽しみ減るわー」 「癒しが……目の保養が……」 「でもさ、なんでこんな中途半端な時期に急に辞めるんだろうね? 事情あり?」 「クビとかではないでしょ? ソッコー辞めるってわけじゃないし」 「物理的に通えなくなるんじゃない?」  海外移住とか訳わかんない妄想を繰り広げるのをぽやっと眺めていたら、肩をつんつんとつつかれた。  振り向くと、歩美だ。 「高野。川上先生辞めちゃうね」 「うん、急でびっくりだよね」 「寂しいんじゃない? 最近けっこう懐いてたじゃん」 「うーん、まあね。理系目指すって言ったら相談乗ってくれたし」  俺は、いままでサボってきたツケを取り戻すべく、完全理系で頭良い歩美に、少々お世話になっていた。  それで休み時間に教えてもらっているときに、川上先生が通りかかると捕まえて、聞いたりしていたのだ。  マジで教えて欲しかったのと、普通にちょっと話したかったのと、誤解されたくないのを兼ねて。 「誰か、理由聞き出す勇者いないかなー」 「え? 聞いて何になるの?」  驚いて尋ねると、歩美は首をかしげた。 「普通に気になるじゃん」 「そんな、教師のプライベートとかわざわざ聞くの、悪趣味でしょ」 「いや、ていうか、不祥事説出てるし。急すぎて」  思わず大きい声を出しそうになったところを、すんでのところでこらえた。  まあ、そうだよな。本人もそう言ってたし。  まして、イケメンの若い先生が急に辞めるとなると、女子生徒絡みかと邪推する奴もいるだろう。  まあ、男子生徒絡みなんで、半分当たりっちゃあ当たりなんだけど。  クビと一緒にはして欲しくない。 「まー、授業前に誰か聞くか」  歩美はのほほんとつぶやいて、自分の席に戻っていった。  5限目は、生物だ。  もし聞かれたとして、川上先生は、なんて答えるんだろう。  いや、もう質問攻めに遭っているかも知れない。  どういう展開になるのか若干緊張しつつ、先生が来るのを待つ。  しかし、いつもは昼休みが終わる5分前くらいに前乗りしてくる先生が、一向に来ない。  そしてチャイムが鳴ったと同時に入ってきた。  教卓にどさっと荷物を置く。そしてすぐに、口を開いた。 「授業を始める前に、皆さんにお話したいことがあります。既にお知らせが出ています通り、一身上の都合により、2学期末で退職します」  先生は、いつも通りの無表情。  教室がしんと静まりかえる。  みんな知っているはずなのに、やっぱり本人の口から聞くと衝撃が違うらしい。 「本来なら学年末まで勤めるべきところですが、完全に僕個人の事情で、校長先生をはじめ、他の先生方にも無理を言ってこのタイミングになりました。途中で投げ出す形になってしまうことは、申し訳なく思っています。すみません」  そう言って、深々と頭を下げる。  朝からずっとそうしてるんだろうなと思ったら、だいぶ胸が痛かった。  そして、前々からうっすら感じていた疑惑が、確信に変わった。  教師を辞めると言って理科準備室に呼ばれた、あの日。  春馬さんは、辞表を出して、そのまま月曜日からは来ないつもりだったと言っていたけど……あれは嘘だ。  常識的に考えて、そんなことがまかり通るわけがないことくらい、分かってたはずだ。  俺だって本人に言った。  うちのバイトでも辞めるのは1ヶ月前通知だよと、ちょっと脱力しながら。  でもいま、『投げ出す形』というのを聞いたら、ピンときてしまった。  本当は、途中で辞められる可能性の方が低かったんだ。  きっと、俺に心配をかけないために、校長に辞表を突き返されたなんて嘘を……。 「あのー」  そろっと、陽キャの男子が手を上げた。  川上先生が小さく「はい」と答えると、男子は立ち上がって聞いた。 「ぶっちゃけ理由ってなんなんですか? 正直、最後まで川上先生に習いたかったんすけど」  勇者現る、みたいな感じで教室の視線が男子に集まる。  川上先生は、眉ひとつも動かさないまま、淡々と答えた。 「家庭の都合と、お付き合いしている方の事情です。僕が教員を続けながらだと維持するのが難しいので、こういう形になりました。なので本当に勝手な……」  川上先生の回答は、女子の悲鳴にかき消された。  もう、鼓膜が破れるかというくらい。  そういえば4限目、廊下の向こうが急にうるさくなったのを思い出した。  まさか川上先生、全クラスにノロケて回ってるんじゃ……。  思わずうつむく。 「え!? で、デキ婚!? デキ婚ですか!?」 「いえ、結婚の予定はないです」 「先生が辞めるんじゃなくて彼女さんが辞めた方がいいんじゃ!?」 「それは相手の方の未来を奪ってしまうので無理でした。すみません」  まあな。俺が高校辞めるわけにいかないもんね。  うん。  横を見ると、川上先生ガチ恋勢の皆さんが、机に突っ伏している。  辞めるなら生徒じゃなくなるからワンチャン……みたいなことを目論んでいた連中だ。 「彼女可愛いんですかー!」 「何系ですかー?」  どさくさに紛れて聞く男子に、川上先生はバカ丁寧に答える。 「可愛いです」  女子の死体が積み上がっていく。  俺は1周回っておかしくなってしまい、けらけら笑い出した。  というか、男はけっこう笑っちゃっている。 「あの、そろそろ授業を始めてもいいですか?」  死体相手に何を教えるんだろう?

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